2021年度 目路はるか教室

2Dコース

手首の内視鏡手術:世界との技術交流とその先に拡がる世界 What I did and whom I met

1979(昭和54) 年卒業国際医療福祉大学医学部整形外科学教授

中村 俊康 氏(なかむら としやす)

 普通部2年生23名に山王病院に来院いただき、目路はるか教室の講義を行いました。幸い今年の10月にCovid-19の緊急事態宣言が明け、特に制約なく普通部生を病院に入れることができました。今回は大変手前みそながら私が医学部を卒業後、整形外科医となり、その後の偶然的な人との出会いから専門が決まり、世界中との交流が広がっていった過程でコミュニケーションツールとしての英語力が重要であったことをお話しました。

What I did

 普通部、塾高から塾医学部に進み、整形外科医となりました。手先が器用だったため外科系を、医学部競走部の時に自分で故障部位の治療をした経験から整形外科を選びました。その後、30年以上手首の小指側にある小さな軟骨の研究と臨床をライフワークとして行ってきました。大学院で研究の楽しさと英文論文が採用される喜びを覚え、執筆・投稿を繰り返していました。

 手首の手術は現在ではかなりの手術が関節鏡視下に行われるようになっています。私が手首を専門にする時期と関節鏡の導入時期がほぼ同時期であったため、早い段階から手首の鏡視下手術をおこなってきました。

Whom I met

 3回ほどの偶然的な出会いにより世界中の手首の関節鏡外科医との交流が始まり、彼らと技術手技を教えあうことから、自分の関節鏡技術をヨーロッパ、アジア、米国などで教えるようになり、今では世界中に教え子がいます。これは人生のほんの数回起こる偶然的な人との出会いから始まりました。最初の出会いは大学院の指導教授の矢部裕先生です。矢部先生から手首の軟骨の研究テーマが与えられました。この成果を世の中に公表するために英文論文の原稿を作成しましたが、そのまま投稿して採用されるかわからないので、native speakerの校閲サービスを受け、「へー、こういう風に英語を直すのだ」と思いました。生きた英語に触れあった最初です。無事に論文が採用され、公表されて2年後に米国のMayo Clinicに留学しましたが、その受け入れにおいて発表した英文論文が助けになりました。そこでRonald L.Linscheid教授に出会います。当時の手首領域で世界一だったLinscheid先生には英文論文を見てもらえました。そこでeditingという技術を教えられました。どういう英語表現を使えば採用されやすいかを仕込まれました。この技術は現在英文誌の編集長をしているのに大変役に立っています。米国留学のおかげで英語の聞き取りや会話には苦労しなくなりました。その後に香港交換fellowship program(学会期間前後の派遣)でPC Ho先生と出会います。Ho先生は偶然ですが同い年で、専門も同じ、関節鏡を習った先生も同じでした。また、香港人の特徴で世界中に知己がいました。彼から世界中の手首の関節鏡仲間を紹介され、世界中に友達ができたわけです。人生の中には偶然的な出会いとそこから拡がる世界があります。それには英語が話せないとだめです。一生懸命しゃべり、そこに内容があれば、一生懸命聞いてくれます。

関節鏡手術

 当日は私の使っている関節鏡にも触れてもらいました。Ho先生から初心者にはパプリカの種の採取を関節鏡視下に行うとよいと教わっていたので、普通部生にも同じようにやってもらいました。若い人達が上手に鏡視下に種を取るのにびっくりしました。すぐにできるようになり、それはそれはうまかったです。

 医学領域で(おそらくどの領域でも)世界に打って出るには自己研鑽し習得した技術と英語コミュニケーション能力が必要であるということを普通部生になんとなく感じてもらえたのであれば幸いです。希望は高く、目路ははるけしです。

前の講師を見る


2021年度トップに戻る


次の講師を見る