普通部とは

普通部長のご挨拶

「慶應義塾の目的」より
――我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し
……以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり。

「自己表現」の涵養と「人間交際」の学び

普通部長 荒川 昭 普通部長 荒川 昭

   新型コロナによって全国すべての学校は様々な影響を受けました。普通部でも昨年の3月~5月は休校要請を受けて、オンデマンドのオンライン授業を行いました。  

 GoogleClassroomを利用して課題配信や授業配信を行い、特に1年生は入学して以来1度も学校に登校できない日々が続いたので、担任から電話やZoomで面談をするようにして、早く学校生活に慣れてもらうことを考えました。6月からは時差、分散登校、生徒数半分で授業を開始し、まずは生徒の安全を考慮しつつ、2学期には、公開を限定したり形を変えたりして労作展、運動会、目路はるか教室を行いました。普通部では「相対」や「気風」を大事に学校運営を進めています。                   
 1月に緊急事態宣言が再び発出されましたが、生徒の安全を守るため、毎日サーモグラフィでの検温の実施、加湿器による教室の適正な湿度管理、扇風機による換気、手洗いのための自動水栓化工事、昼食時にホームルーム以外の教室を使って生徒数を半減、分散して、静かに昼食をとることなど様々な工夫をして学校での学びを止めない様に努めています。

 このように現在は新型コロナの対応をしながらの学校運営となっていますが、普通部は福澤先生の教えのもと、一貫教育校として独自に工夫した取り組みを行っています。

 福澤先生が、未来に生きる慶應義塾の塾生に託したことは、個人として独立して身を立て、やがては広く社会の先導者となり、社会に貢献する人となるということです。

 そのため普通部生の第一歩は、自ら学び、自ら考え、日々こつこつと「学び」を続けることで、それは、知識を習得するだけではなく、じっくり観察し、自ら判断・行動し、自己表現することです。「全社会の先導者」となるからには、誰かに「解」を教わるのではなく、自ら進んで「解」を得なければならないので、自ら学び、自ら考えることが大切になります。

 普通部では、各教科の授業など、生徒の「なぜ」「どうして」という学びの本質を大事にしながら、自分の考えをまとめ表現する機会を多くしています。

 福澤先生は、1890年慶應義塾の課程に「大学部」が設置されたのを機会に、従来からの基本的な知識や教養、技術を広く身につける課程を「普通部」とよぶことにしました。この普通部の課程こそ、総合的な判断力を養い、その幅広い教養を実社会に活用させるという、慶應義塾教育の基本的形態そのものです。そして、福澤先生は『学問のすゝめ』初編で「人間普通日用に近き実学」と書いています。学問の本質は「専ら勤むべきは、人間普通日用に近き実学」であること。「人間」は「じんかん」と読み、社会を意味しています。「普通」とは、「普(あまね)く、通ずる」ということであり、普通部で「普く通ずる」学びをすることは、世の中がどのように変わってもとても大事なことです。

 また、福澤先生は、独立した個人が、他の人と、幅広く交流し、付き合うことの必要性も説いています。学問をすることによって、人々の志や思想やモラルが高くなり、学問を収めた人には、自然と人望も集まるものであり、学問の発展は先生から教えを受けるだけではなく、同学年や同位の他人との交流からも得られるものであるとされました。

 個人として成長するには、他の人からの刺激が不可欠です。相手を互いに評価し合い、心をゆっくり通わせて、一生の仲間を育ててゆく「人間交際」の場に、普通部はなっていくでしょう。普通部には、心を通わせる機会や時間は沢山あります。

 普通部には「普通」の教育、労作展、目路はるか教室など「学び」や「人間交際」の場があり、様々な機会に自己表現を磨き、自分のポテンシャルを高め、友達の能力を認めて、共に学び、大いに交流し、心に刻む生活を送ることができると思っています。

 受験にとらわれず、心豊かに本当の友達を作る中学時代、学問をする普通部で本当の力を磨き、「全社会の先導者」として活躍されることを期待しています。