2019年度 目路はるか教室

2019年度 目路はるか教室
1年全体講話

普通部の思い出―学者になるには

昭和45(1970)年卒業慶應義塾大学 総合政策学部

河添 健 氏(かわぞえ たけし)

 普通部を卒業して、慶應高校、工学部(現理工部)と進み、幸いにも数学者になれたことを思うと最初の出発点は普通部にあったと思います。当然、〝今から思うと〟ですが、それだけ普通部での学生生活が将来に大きく影響していました。授業ではそのことを皆さんに伝えたかったのですが、でも今から50年先のことを思って、何々しようよ、と言っても意味がありませんね。みなさんには私が数学に熱中したように何かに夢中になって今を過ごして欲しいと思います。

 授業では思い出話をたくさんしました。入試問題の星形の角度、数学研究会の最初のクイズ問題—レコードの針の軌跡—、労作展、そして先生方のすばらしいあだ名。みなさもあだ名を使っているとのことで安心しました。夏の数学研究会の合宿や冬のスキー教室も楽しい思い出です。皆さんもこれから多くのことを経験します。楽しみですね。でも授業では触れませんでしたが、ちょっとつらい思い出もあります。〝からかい〟、〝いじめ〟、〝けんか〟もありました。今とは時代がちがいますから、多分、今よりは日常的だったかもしれません。そんなときに強く生きるのはどうするのか。何かに熱中して、人には負けないものを手にすることです。

 学者と言われても、先生、教授、博士などなど、みなさんはまだ区別がつかないと思います。一生懸命に勉強して研究を続ければ、これらの研究者にはなれます。でもノーベル賞(数学の場合はフィールズ賞)を取れるかというと、これはなかなか難しいですね。大勢の人が一生懸命に研究をしているのでとても大変です。多分、いや確実にどれだけ研究に熱中したかということと運と不運が絡んでいるのだと思います。是非、みなさんの中の誰かがノーベル賞を取ってください。私が数学の研究者になるきっかけとして村上省三先生と土田富士雄先生の話をしました。(ここでは先生でよびます)お二人の先生に出会わなければ数学者にはなっていなかったと思います。村上先生は当時の数学研究会の部長で、先生からは数学の楽しさや旅行の楽しさを教わりました。土田先生には3年生のときに数学を習いました。あるとき〝フェルマーの定理が解けました。〟と教員室の先生を訪ねて証明をもって行きました。すると後日クラスのみんなの前で、〝誰かが大定理の証明を持ってきた。たがこれは間違いである。何故なら短すぎる〟と一蹴し、赤面の至りでした。でも最後に、〝授業とは関係なく何かに熱中するのはよろしい。〟とほめてくれたあの瞬間が今でも脳裏に焼き付いています。みなさんもすばらしい先生と出会うことを期待しています。

 最後に、授業では話しませんでしたが、土田先生の思い出を一つお話しします。授業後にみなさんから〝人生の生き方〟についての質問がありました。その一つの回答になるかと思います。卒業して10年ぐらいたったときに普通部の同窓会がありました。最年長の土田先生がご挨拶され、次のように話されました。「君たちは慶應で育ち十分に恵まれている。これからは損をして生きなさい。よく損をして得をとる、というが、それは損でない。本当に損をしなさい」ご自身の人生を振り返られてのお言葉でしたが、私は大切にしています。みなさんも是非、この言葉の意味を考えて、何かに夢中になり充実した普通部生活を送ってください。

 

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