2019年度 目路はるか教室

2Iコース

弁護士生活20年を振り返る契機を頂いて

平成2(1990)年卒業森・濱田松本法律事務所

井上 愛朗 氏(いのうえ あいろう)

 「目路はるか教室」で、母校のみなさんにお話をさせて頂く機会を頂戴し、本当に光栄でしたし、自分の仕事人生を振り返るよい機会となりました。迅速なご手配やご調整をして頂いた藤田先生、明るく爽やかに引率して頂いた矢島先生、熱心に参加してくれた生徒の皆さん、そして私をご推薦頂いた江木先生に心より感謝申し上げます。

 今回、このような機会を頂戴し、後輩のみなさんがこれから人生の選択をする上で、できるだけ参考になる話ができればと思い、現在の司法試験の状況や、弁護士の人数問題、就職の状況や、大手事務所での採用等の話など、かなり実務的な話もさせて頂きました。多少なりとも、夢のあるお話もできたでしょうか。また、私の専門分野の一つである「事業再生」について、具体的な案件をとりあげて紹介し、私自身の活躍については多少の誇張と演出も織り交ぜながら、お話させてもらいました。

 いま、私は、45歳目前。普通部を卒業してもう30年の月日が流れようとしています。

 30年前の日本。1988年〜89年ころですね。バブル経済最盛期にあって就職の人気企業では証券会社が第一位。普通部での社会の授業中、担任でもあった社会の山﨑先生が「景気は10年周期。みんなが就職する頃には経済は冷え込んで、就職はかなり厳しいと予言しよう。油断するな、勉強しろ」と仰っていたことを思い出します。実際、同級生たちが就職する1997年頃は、山一証券が倒産、北海道拓殖銀行が破綻するなどの金融危機が到来し、かなりの就職氷河期でした。当時、私は先生のお話を踏まえて勉強していた(!?)のですが、無事、司法浪人のプータロー生活が決定し、厳しい就職活動を勝ち抜いた同級生に置いてけぼりとなって、経済とは関係なく人生の氷河期となりました。私が事務所に就職したころも日本経済は厳しく、そのため、私の専門分野は「事業再生」となりました。その後、リーマンショックによる金融危機が日本を襲いましたが、これを少々喜ばしく受け止めたのは事業再生案件を中心として仕事をしている私くらいかもしれません。現在は、ベンチャー企業の案件や、M&A案件も、私の仕事の中でかなりのポートフォリオを占めるようになりました。所属事務所は、タイの法律事務所を買収するなどアジア展開を積極的に進めています。

 時代は常に移り変わり、経済や社会も変わっていきます。そのような変化の中で、普遍的に重要なことは「勉強すること」だと思います。「人生、日々勉強。そして、チャレンジ」。後輩のみなさんにお話しながら、改めて、自分自身に言い聞かせております。

 いま、私は3児の父となりました。一番上は中1の娘です。娘には、みなさんにお話ししたような偉そうな話はできず、ただご機嫌をとる毎日です。みなさんのお父さんも、もしかしたら私と同じかもしれません。一度、勇気を出して「お父さんのこれまでをきちんと聞かせて」と言ってみてはどうでしょう。お父さんの人生をそれぞれ詳しく聞いてみたら、みなさんの未来の選択にとって、タメになる話はたくさん出てくるものと思います。

 短い中学生活。精一杯勉強し、楽しんで!みなさんのこれからのご活躍を心から期待しております!

 

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