2019年度 目路はるか教室

2Eコース

精神科病院を知っていますか?

昭和55(1980)年卒業大宮厚生病院

渡邊 宏治 氏(わたなべ こうじ)

 令和元年11月9日の空き晴れの日に、私の勤務する大宮厚生病院にて「目路はるか教室」を行いました。自宅から2時間もかけて来たという生徒さんもいましたが、きちんと全員時間通りに集合し、トラブルなく来院するところなどは、さすが普通部生と思いました。

 今回、「目路はるか教室」のお話を頂いて、何のお話をしたらいいのかまず悩みました。私は特別な研究テーマを持つわけでもなく、何か一つの事業を打ち立てたわけでもないので、結局、自分のたどった経緯と今まさにやっている仕事に関して、そのまま話すことにしました。

 第1部として、「私の生活歴」と題して、自分の生い立ちから学生時代にやっていたこと、好きだった物、医学部に入ってからは小児外科で経験、留学の事、そして精神科への転科について順番にお話ししました。事前に、学生の方々からいただいていた興味のあることや質問事項を参考にして、内容を決めたのですが、私自身、自分のたどった歩みを振り返ってみる大変貴重な機会になり、随所に精神科医としてその時の心情を分析しながらまとめるように心掛けました。特に、強調したかったことは、「必要とされているところで一所懸命にやる」ということです。私は、医学部卒業して小児外科医としての道を歩み始めましたが、妻の実家がやっている精神科病院の継承という問題にあたり、専門を変更して40歳で精神科の勉強を始めました。その上、転科して間もなく義父が急逝し、病院の理事長に就任し、病院の経営もする立場になりました。私の生活歴を振り返ると、自分の望んだことに打ち込み、その道を成就するといった学生時代に思っていた理想とは全然違う歩みを進んできましたが、その時その時に必要とされるところで努力することで、自分が考えてもいなかったような新たな目標が生じてくることもあり、気持ちを腐らせず一所懸命に目の前のことに取り組んだことが今につながった、と考えています。負けず嫌いであった私ですが、こんな生き方を受け入れている先輩もいるのだな、と感じていただければ幸いです。

 第2部は、精神科医療の現状を紹介しました。精神科病院は、もともと精神病患者さんを収容、保護する場としての意味が強かったのですが、今は治療法も発達し、患者さんの地域生活をサポートする医療活動を、多職種で行う場へと変遷しています。一方で、本人の意思に反して強制的な入院や行動制限をかけなければならない厳しい現実があり、その実施には、精神保健福祉法に則った診療が必要になることを説明しました。

 本来、現場を見てもらうのが一番ですが、患者さんの保護と多感な思春期への影響を考え、今回は、外来と開放病棟のみを見学し、保護室や拘束具などをスライドで紹介するのにとどめました。見学の後は、あらかじめ受けていた質問事項を中心に答える時間として私の教室を終えました。

 当日は、精神保健福祉士の柳谷さんに手伝っていただき、どういう仕事をするのか話をしてもらったり、私の家内(中等部出身)にも母親目線でコメントをもらったり、また、同行いただいた矢澤先生、天田先生には昔の担任の先生の話をしたときに、フォローしていただいたりと終始、和やかな雰囲気の中で教室を進めることができました。

 そして、教室後の感想をいただきましたが、参加した生徒さん方が的確にこちらのメッセージを受け取っていたことに、普通部生の能力の高さを実感するとともに、非常に誇らしく思いました。このような機会を作っていただいた辻先生と担当していただいた鎌田先生も含めまして、皆様に厚く御礼申し上げます。

 まったくの余談ですが、偶然この日の夜に39年目にして初めての普通部D組クラス会がありました。みんな外観は変わっていましたが、それぞれの道で元気に活躍している様子がうかがえ、この日は私にとって〝普通部の日〟として楽しい1日になりました。

 

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