2019年度 目路はるか教室

2Cコース

世界に冠たる新しい慶應病院の魅力と医学生南米派遣団の経験

昭和51(1976)年卒業渡辺医院

渡辺 真純 氏(わたなべ まさずみ)

 教室当日の土曜朝は清々しい天気だった。

 慶應病院正門前の信濃町駅に24名の普通部2年生と引率の浦口先生が集合し、出迎えた。自分がイメージしていた中学2年生よりも少し幼い感じかなというのが率直な印象だった。

 そこから慶應病院11階の会議室に移動して教室を開始した。この会議室には丁度ぴったり25脚の椅子が常設されていてよかった。この日のために普通部卒の若手精鋭医師2名(梶川慶太君、北川剛裕君2004年卒、現整形外科)にも教室に参加してもらうことになった。

 最初に自分からスライドプレゼンテーションを行った。まずは自己紹介、医師を目指した理由、医学部卒業後に外科医を目指した理由、さらにその中でも呼吸器外科医を目指した理由などを紹介した。基本的には「医者としてのオールラウンドプレイヤーに成りたかった。」のが一番の理由だ。そして自分が新病院棟開設準備室を担当したきっかけなども話した。

 引き続き「慶應病院新病院棟建設プロジェクトについて」の説明をした。10年前のプロジェクト開始前の慶應病院の状況からどんな病院を作りたかったのかを解説した。その中心となる4つのコンセプトは「クラスター医療」「国際医療拠点」「医看薬の医療人育成」「災害に強い都市型地域医療」だ。デザインコンセプトは緑豊かな信濃町地域を象徴する意味で「慶應の杜=Keio Forest」とした。また外来診察スペースには「1A」「2B」「3C」といった空港出発ゲートの様なサインを設置して患者さんが迷わないように誘導する方法を採用した。手術部門は我が国最大級の27部屋を持ち最新鋭のハイブリッド手術室やロボット支援手術などの関連装備を導入した。

 続いて「国際医学研究会(IMA)を通じた慶應医学部学生の国際交流について」を紹介した。IMAは義塾の学生公認団体であり、医学部6年生が夏休みを利用して南米ブラジルなどを訪問し、「医療の原点を体験する」、「現地の医学生や日系人、慶應義塾関係者との国際交流を深める」ことにより国際的に活躍する医師を育てることを目的にしている。ちなみに現在の医学部長、病院長、厚生労働省の医系官僚トップはこの会のOBが務めている。

 その活動は1988年にスタートし、本年2019年には第42次南米派遣団が各地を訪問した。

 自分は1984年に3人の同級生と共に第7次派遣団学生責任者として参加し、約50日間に渡りブラジル、ボリビア、パラグアイ、ペルー、米国で活動した。35年前の懐かしい写真を交えて当時の活動状況を報告した。

 次いでは梶川君、北川君にバトンタッチし普通部生に近い若手医師の立場から参加の生徒諸君に語りかけてもらった。両君はIMA第35次派遣団員として活躍した後に現在は整形外科医、医学研究者(大学院生)として日々の活動に励んでいる。その二人から中学校、高校、医学部時代の生活について熱く語ってもらった。医師を目指すにあたって何を考えて努力してきたかについての話は、その道を目指す普通部生にとても有意義であったと思う。

 会議室での座学に続いては病院看護部矢崎久妙子師長らに案内されて新病院棟の実地見学を行った。1号館新病院棟に移動しゲスト(患者さんなど)の動線とスタッフ(医師・看護師など)の動線がホテルやディズニーランドの様に極力分離されていることを解説した。見晴らしの良い10階病棟ではVIPらが入院する特別病室を見学した。低層部の外来フロアでは重要なデザインコンセプトである「慶應の杜」や空港のゲートをイメージしたサインを実感してもらった。本来であれば実際の手術風景なども見学してもらいたかったが、昨今の情勢ではそれがかない難いのは残念だった。

 その後は会議室での質疑応答。やはり生徒諸君は慶應医学部卒業生が普通部・高校時代に何を考えて過ごしていたのかに一番興味があった様だ。

 梶川君、北川君、矢崎師長には大変お世話になった。ありがとうございました。

 またこの様な「目路はるか教室」と言う素晴らしい教育プログラムを運営されている普通部の先生方の並々ならぬ努力は想像に難くない。それに敬意を表すると共にその講師を務めさせていただいたことに深く感謝する。

 今回の教室を通じて普通部生諸君が医療、医学、そしてその国際交流について興味を持ち、やがて活躍するようであればこれ以上の喜びはない。

 

前の講師を見る


2019年度トップに戻る


次の講師を見る