2021年度 目路はるか教室

2021年度 目路はるか教室
2年全体講話

あの頃

1967(昭和42)年卒業音楽プロデューサー、作編曲家

松任谷 正隆 氏(まつとうや まさたか)

 歳を取ると、あるとき急に、遠い昔の日々の意味が分かったように思うことがあります。その時は分からなくても、急にわかるのです。そして、その時が自分にとって、一番に近いくらい大切だったということに気づくのです。目路はるか教室、今回僕は2回目でしたけれど、薄ぼんやりとそんなことを伝えたいと思いました。だからといって、いまが大事なんだから大切にしろ、なんて言うつもりは全くありません。大事なとき、というのは、いつも後になって分かるものであり、意識しても何の意味もないからです。

 僕は普通部の入学初日のあの空気をよく覚えています。なんだかそれまで想像してきたところとあまりに違いました。そのあまりに殺伐とした空気と、周りのとげとげしい空気に逃げ出したい気分でした。担任の先生の発する空気のせいだったのかもしれません。もちろん、時間とともにその空気にも慣れ、そして周りとも少しずつ馴染めるようにはなったものの、卒業してからも違和感は残りました。そして高校に上がると、そこは僕にとってもっとひどい場所で、なんだか人を信じられない気分になったことを覚えています。そのたびに思ったものです。人は所詮孤独なものなのだ、と。

 人の体は絶えず変化していきます。子供から大人へ、なんて単純なものではない。生きている日数分の変化があるのです。普通部の3年間という時間は、もちろん人それぞれですけれど、体の中の何かが一気に加速をし、頭が付いていけなくなる時期でもあったような気がします。だからこそ、つまらないことでも、その後ずっと覚えていたりするのです。

 目路はるか教室では言いませんでしたけど、僕はあの時期、訳も分からずもてたかった。もちろん女の子に、です。男しかいないアニマルハウスのようなところで悶々とし、それでも共学でなかったことに少しだけ安堵をし……だってこんなひどい成績の自分がもてるわけありませんから……不安いっぱいな毎日をなんとか誤魔化しながら、部活の帰りにこっそりと駅前の眠眠で、やたら太い麺の焼きそばを食べていました。食べている最中の幸せな気持ちとか、先生に見つからないようにこっそり店を出るときのスリルとか、中等部の連中がやたらおしゃれなカフェとかを必死に探しているのを横目で見ながら、なんだか救われるなあ、などと思ったことを覚えています。焼きそばで救われるなんて安いものですね。

 そんなこともこんなことも全部、僕はいまの仕事の中に生きています。別に優等生ぶって言っているのではなく、創作活動をしていると、急にあの光景が頭に浮かんでしまうのです。

 太い焼きそばとかがね。そういえば先生に見つかったときもあったな。追いかけられてダッシュして逃げましたけれど。

 青春って何なのでしょうね。何も見えないトンネルの中にいながら、もがきながら、でも結構楽しい瞬間もあったりして、一喜一憂している時間のことなのでしょうか。

 歳を取るのは怖いと思うでしょ?でもね、歳を取ると、逆にあんな怖い時間をよく過ごせたな、とつくづく思うのです。あんなに脆くて崩れそうな心で、どうやって生き延びたのでしょう。だからもちろん、あの時間には戻りたくなんてない。体が言うことを聞かなくなったとしても、歳とったいまが一番なんです。

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