労作展

2018年度労作展 受賞作品

国語科

労作展を終えて

3年H.H.君

 今から丁度、三年前。小学六年生の時に初めて見た労作展で受けた衝撃。生徒が自らの能力、アイデアを生かし織り成す作品の壮観さ。それらは明らかに他と一線を画していた。この衝撃が薄れていくことはない。ただただ憧れが膨らんでゆくばかりであった。

 それから三年が過ぎていた。計画表提出の前日であった。僕は一年生の時に三年間を「心・技・体」のそれぞれを深く学ぶものとすると決めていた。それは目標とする野球選手としては「心・技・体」において高いレベルを維持することが不可欠であるため。そんなコンセプトを掲げて一年目は「体」の研究として朝食でよく摂取されるフルーツグラノーラをどのようにすれば効率的に栄養価をとれるかを研究した。そして成果を得たのみならず賞も頂いた。続いて二年目。「技」として力をより伝えることのできるバッティングフォームについて研究をした。資料を読み込み受賞の前年同様の作業量、自信はあった。しかし賞は逃した。どこかで慢心していた自分。この挫折は自分は労作展への取り組みを見つめ直す良い機会となった。

 勝負の三年目。僕は心を研究するため、小説に挑むことに決めた。前年の経験から労作展では昨年からの進歩が重要だと考えた。では、どのようにしてその進歩をあらわすのか。それは、実際に取材し掘り下げる取材力だと考えた。小説ではいくらストーリーが秀逸だとしても読者に感情移入させ、物語に引き込ませなくてはならない。そのためには身を以って肌で感じた雰囲気、ピッタリと当てはまる表現を探す必要がある。そのため、僕は取材力を重視した。

 さらに「取材力」は現場だけでは得られないものもある。僕は戦争医学小説を書いたが、歴史的背景、当時の人々の様々を知るにあたって文献においての取材も重要視した。作業を開始した七月から文献を読みあさり、思考表現を深めてゆく。また、医師の現実を知る上で禎心会脳疾患研究所所長の上山博康先生やデューク大学教授の福島孝徳先生などの講演会に足を運び「医師の心構え」、「名医とは」というポイントを取材した。

 前述した、「現場においての取材」として広島県の平和記念資料館と大和ミュージアム、そして広島市、呉市の街並を取材した。やはりこの経験は後々大きく生かされることとなる。平和記念資料館では原爆を負の財産として伝える原爆ドームと共に、資料館に展示されてある原爆被害の大きさ、残酷さを表わす数々の遺品を見学した。やはり実際に見なければ分からない。どの遺品も必ず誰かが使っていたのだろう。そんな事を浮かべながら、表現を考えていった。

 そして勝負の執筆。ここでは表現を素直にあらわさないことに力を入れた。主人公の心情を直接示さない。このことを気にかけ書きすすめた。そして主人公に心情を吹き込むことができ、書きおえることができた。

 九月二十三日。教室に入ると、賞の文字が。三年間の全てが報われたような気がした。この労作展では「取材力」を重視し、「心」について研究することができたと思う。今振り返っても、取材、主人公に心情を吹き込む過程など、すぐによみがえる。それがあの膨大な作業量を象徴しているのだろう。達成感がとてもある半面、あの量を考えると、もう一回やるかと言われれば疑問符がつく。