労作展

英語科

英語を通して成長した労作展

3年Y.K.君

 三年前に初めて労作展に行ったとき、小学生の僕は展示してある美術作品の精密さに驚いた。僕は普通部に入ったら、このような素晴らしい作品を作ってみたいと思ったが、僕の美術的センスは残念ながら皆無であった。そこで小学生のときから勉強していた英語をやろうと決めた。

 一年目は、ジョン万次郎についての本を英文和訳した。ジョン万次郎をテーマに選んだのは、たまたま見ていたNHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組がきっかけだった。僕と同年代のジョン万次郎は、英語が分からないにも拘わらず、アメリカに渡って英語を勉強してアメリカの航海術など様々なことを持ち帰り、日本の発展と国際化に大いに貢献したと紹介されていて、彼にとても興味をもった。夏休みに入ってから人生初の翻訳作業を始めたのだが、内容が予想以上に難しく、思うように進めることができなかった。結局、当初翻訳する予定だった二七〇ページの半分ぐらいしか訳すことができずに終わった。賞はもらえなかった。賞が取れないと夏休みのすべてを英語に没頭して頑張った分が報われない気がして、ものすごく悔しかった。このように、僕の最初の労作展は悔いが残るものとなってしまったが、次はもっとたくさん時間をかけて賞がもらえるような作品にしたいと思った。

 二年目は、進級する前の春休み三月下旬から計画的に翻訳作業を始めた。原典は一年目に訳し終わらなかったジョン万次郎の本だ。一冊すべて訳して、初志貫徹したいと思ったからである。作業は一学期に毎週出されるレポートや時々実施される小テストの勉強と同時進行で進めなければならなかった。期末テスト前には翻訳下書き作業をすべて終了させるという大変ハードなスケジュールだったので、毎日遅くまで睡魔と戦う羽目になった。

 翻訳するだけではなく、僕はジョン万次郎についてもっと知りたいと思い、夏休みにジョン万次郎の故郷の高知県でジョン万次郎博物館や生家、足摺岬等を訪れた。高知県の鉄道は不便だった。土佐清水市や足摺岬に行くのに、空港から車で山道を片道四時間以上かかった。ものすごく大変だった。

 わざわざ高知まで行った甲斐があってか二年目には賞をもらうことができた。さらに特別展示にも選ばれた。自分の賞の札の後ろに赤いペンマークがあったときは飛び上がりそうになるくらい嬉しかった。そして、三月からコツコツやってきてよかったなぁと改めて感じた。

 二年間かけてジョン万次郎の一冊の本を訳したので、三年目は翻訳の題材を何にするか、なかなか決まらなかった。夏休みにフィンランド交流で現地を訪問する予定だったので、フィンランドの人気キャラクター、ムーミンのコミックを翻訳しようと思った。ムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの生誕百年を記念して二〇一四年に出版された特別な本を選んだ。それは二十一の秀逸な短編コミックによって構成され、総ページ数約四五〇ページ、重さは二キロ以上あった。昨年の小説とは違って絵がとても多いので楽勝かと思いきや、口語独特の表現がとても多く、さらにコミック特有の吹き出しがあるため、変なところで何度も改行されてしまい、文の構造がにわかりにくく、とても訳しづらかった。

 フィンランドでは、タンペレ市で六月に新しくオープンしたムーミン美術館を訪れた。美術館には、物語中のシーンを再現したジオラマや、ストーリーを解説した展示、ムーミン屋敷の模型があり、原典への理解を深めることができ、作品の和訳にも役立った。トーベがムーミンをいかに愛していたかを感じることもできた。初期のムーミンは見た目がずいぶん変わっていたことや、実はトーベ・ヤンソンはムーミン小説執筆のために、途中からは弟にコミックを任せていたことなどを知り、とても驚いた。

 三年間の労作展を通して、僕は二回賞を取ることができた。そのどちらも特別展示だったのでとても嬉しかった。高校に進学したら、労作展のような行事は無くなってしまうので少し寂しい気もするが、コツコツやっていけば、どんなことも実現できるということを忘れずにいろんなことに挑戦してみたいと思った。