労作展

書道科

最後の労作展

3年S.H.君

 

 今回、僕は三度目の労作展で初めて賞をいただいた。労作展での賞は僕にとって、夏休みにおける作品作りの苦労を認められた証であって、それを三年目にしてやっと獲れたことは、とても光栄であり、嬉しかった。

 僕は、今回書道科として作品を作ったが、一、二度目は書道科ではなく、技術科と美術科で作品をだした。その作品はとても「労作」と言えるようなモノではなく、ましてや、技術・美術科は最も多く作品が出る科目であり、優れた作品も多々存在する。その中で僕の作品は当然のごとく埋もれた。

 二年間労作展を見て気がついたことは、どの作品も周到な準備と、多くの時間、そして第一に、その作品に対する熱意が込められていたことだ。そのことを考えると、僕の出した作品二つは、どちらも、三つのうちのどれかが欠けていて、その欠けている部分を改善していくことは、難しそうであった。

 そう考えると、三回目の労作展を美術科、技術科のどちらかで出品するのは、あまり良い選択ではない。そのため、三度目最後の労作展では、また違う科で出品することにした。

 そして、二回目の労作展を通して、一番目を引かれ、且つ自分がいちばん好きな教科である書道科で最後の作品を作ろうと決心した。

 書道の作品は、手本となる文字の研究、そして膨大な反復練習を積み重ねた集大成であり、一字のミスも許されない。

 僕が書道で好きなのは字の反復練習である。一回一回の練習で確実に上手くなっていくのが、書いている自分でも分かり、その結果、自ずと集中力が湧き、字に没頭することができる。また、一つのミスも許されない所も僕の性格と一致する。

 書道科の作品は表装をするため、八月下旬中には作品を完成させねばならない。そのため、綿密な計画と、それに沿った練習を毎日少なくとも三時間以上行なった。八月中旬後半に入ると、本番用の大きさである半切に練習を開始した。この半切練習はとても辛く、十六字を続けて書き続けるため、二枚ほど書くと集中力がもたなくなった。しかしその分、作品が出来た時の達成感は大きく、一度目、二度目の作品との完成度はケタ違いであった。

 労作展当日は、電車の中でずっと落ち着かなかった。一度目、二度目の労作展では、まったく感じなかった感情を抱きながら、ただただ賞のことを考えていた。

 普通部で、自分の作品に賞がついているのを見た時は、嬉しかったと共に、まあ当然であろうとも思った。自分が一番頑張ったのを知っていたし、作品にも自信があったからだ。

 ただ、上には上がいて、僕よりも上手い書道の作品が沢山あったし、他科目の作品にも目を見張るものがあった。また賞を取れて感じられた他の作品への感想もあった。例えば、どんなに良い作品でも、作る過程が出来てないものは確実に賞になっていなかった。労作展の難しい所はここで、少しの手抜きも許されないことである。なのに三年連続で賞を取っている人は、とても凄い事をしていると感じた。

 僕が労作展三回目にして分かった事は、労作展は努力するほど面白くなる展覧会だと言うことだ。自分の他の作品を見る目が変わるし、なにより自分の作品が評価されたのは、誇れることであろう。