労作展

書道科

労作の意味

3年R.H.君

「ここまで来たら絶対にメダルを揃えたい!」そう意気込んで始まった最後の労作展。一年生、二年生と僕は賞をとることができ、メダルを揃えるという意味でも、最後の労作展をいい結果で締めくくるという意味でも、今年の労作展にはより一層気合が入っていた。

 僕は去年に引き続き書道科、臨書を選んだ。行書のお手本といわれる王羲之を書きたかった。なぜなら僕は書道が大好きで、やっていてとても楽しいからだ。僕は去年先生から頂いたアドバイス、自分で感じた色々な反省点などをもとに、筆を持つ前段階から入念に準備した。書く作品を決め、その作品について調べ、書く部分を決め、字について分析した。

 ようやく書く練習に入ってからは、ほぼ一日中ずっと書き続け、夏休みとは思えないほど家の中で筆を走らせた。書道が好き、楽しいという気持ちが筆を持つ僕の手を動かした。でも上手くいかない時もある。というかそういう時のほうが多い。自分の納得できる字が書けずに泣きそうになるくらいはがゆい思いを何回もして、嫌になって書きたくなくなることが何回もあった。例えば長い半紙に書くときは、もしすごく上手く書き進めていても、最後に一文字失敗してしまえば、それでボツになってしまうのだ。まるで終わりの見えないトンネルの中を進んでいるようで、焦り、不安、憤りばかり感じていた。けれど最初に掲げた目標に向かって進もうと、ひたすらに毎日努力し続けた。

 そして、悔しい部分も残るが納得できる作品がついに書けた時は、いい天気ではない夜だったが晴れやかな気持ちでとてもスカッとした。練習した半紙の量はいつの間にか去年の二倍ほどになっていて、その半紙の山を見て本当に大きな達成感を味わうことができた。

 労作展初日の前日、僕の中で賞がとれるかの不安とやり切れたという自信がハーフハーフくらいであって、ずっとそのことばかり考えていた。運命の日、僕は教室につく前に友達から僕が賞をとれたことを聞かされて拍子抜けしてしまったが、実際に制作日誌に賞の紙が付いてるのを見て、労作展三回分の努力が報われた気がして本当に感動した。

 僕は普通部三年間の労作展で学んだことがある。それは出来上がった作品にあるものだけではない、その作品を完成させるまでの過程である。夏休みという自分で時間の使い方を決められる中で一つの作品を作るために、毎日コツコツと努力をし、一つのことに没頭してやり続けることが大切なことなのだと身をもって感じた。きっと『労作』という言葉にはそういう意味があるのだと僕は思う。だから労作展ではどんなジャンルであれ自分の本当に好きなこと、本当にやりたいことにとことん時間を費やしていくべきだと思う。そこで僕には書道がうってつけだったのだ。これからも書道を続けていきたいと思っている。