労作展

2018年度労作展 受賞作品

理科

三年間の労作展を通じて

3年S.M.君

 「M、賞とれてたぜ!」

労作展当日の朝、下駄箱で友人から言われた瞬間、嬉しさと共に、一、二年生時の賞とは違った感情がそこにはあった。

 僕にとっての労作展は、慶應普通部への受験のきっかけとなった大切な行事である。独創性、計画性、作品の出来栄えなどが特に優れている作品には「賞」が与えられる。

 一年生の時は、物を作ることが好きだったので、なにか独創性のあるものを作りたいと考えた。思いつくままに行った展覧会で、変わった形の椅子を見た時に、そこにはない素材で作りたいと考えた。ある時、目に飛び込んできたコンクリートの壁を見て、この材料で椅子を作ろうと思った。早速、イメージ図を書いて工房に相談すると、作ったことはないが製作はできる、と言われて安心したが、製作過程では思った以上に大変だった。工房の方々にアドバイスをいただきながらも、試行錯誤を重ねて技術の分野で作品を作ることができた。

 それから、一年生の夏休みの課題で、長瀞に石を観察しに行く機会があった。長瀞の綺麗な石畳を見ているうちに、石の魅力に取りつかれた。それからは休日を利用して石を採取するようになった。二年生の時は、拾い集めた石を使って何かできないかと考えた。思い付いたのは、労作展で見たタイルで出来たモザイクアートを、拾った石で作りあげることだ。図案をクリムトの「生命の樹」に決め、工房に相談しにいくと、製作はできると言われたが、タイルと比べると多くの課題があった。まず、遠方まで石を採取することから始まり、色合いがよくてもきれいに割れないものが多かった。そのため、石の調達に思った以上の時間がかかり、また必要なピースを揃えるために多くの石を無駄にしたが、夏休みのほとんど費やし、美術の分野で作品を作り上げることができた。

 そして三年目。鉱物を題材にしようと考えたが、内容が思いつかない。都立図書館や大きな書店に出向き、鉱物に関する専門書を片っ端から読みあさり、頭に詰め込んだ。I先生に提出した計画表は、自分にもできるのか分からない程難しく、まとまっていない内容だった。迷走して時間だけが過ぎていたので、まず鉱物採集に取り掛かった。採集は実際に現地に行ってみないと判らないことが多い。書籍から産地の情報を集め、日程を入念に決める。現地では、同じく石を採取しに来ている大学生の方々に声をかけていき、最新の情報を教えていただいた。そのうちに自分が何を探しているのか気づいた。それは「鉱物の産因過程」を追求することだ。地球上には、数千種類の鉱物が存在している。これらは、様々な条件下で偶然できた産物であり、独特の造形美を持っている。鉱物は動植物と違い、名前が一緒でも産地によっては見た目や大きさが異なっている。鉱物の魅力の産因過程を、労作展で表現したいと思った。

 一、二年生の時は、技術と美術作品自体の独創性が評価されたのだと思う。しかし今回は理科のレポートだ。鉱物の採取地の情報を集め、鉱物を採取しに行き標本を作製する。そして採取地の現状を紹介し、鉱物の産因過程をまとめる。非常に単純である。理科のレポートに要求されることは、実験結果と考察であり、書籍で調べたことを、専門用語で記述しなければならない。専門書は分厚く、難解で息が詰まりそうで、レポートの記述が進まない焦りと、後戻りできない後悔を感じ、何度も涙を流した。しかしそれでも諦めなかったのは、今まで出会った人たちの存在だった。鉱物の産地を案内してくださった役所の方々、鉱物の歴史を教えてくださった博物館の方々、鉱物の鑑定を通じて応援してくださった学芸員の方々、他にもお世話になった多くの方々に恩返しがしたい。そして決意した。自分が満足するものを必ず完成させる、と。それからは専門書を何度も何度も読み返すことで内容を理解し、自らの言葉でレポートをまとめることが出来た。そして有限な時間の中で、全部で二十六か所の産地から、七十一個の標本を整理し、レポートを前日の夜中に完成させることができた。その時はただただ嬉しかった。苦労したその分、達成感はとてもとても大きかった。 

 賞は励みになるけれど、目標にしてしまうとプレッシャーにしかならない。僕の労作展の目的は、レポートを書き上げること。そして恩返しをすること。目的を失わずにやり切ること。そして辿り着いたその先に「賞」は輝いていた。三つめの賞は、僕にとって特別なものだった。

 最後にもう一つ。レポートの提出後、こめかみのところに直径約一センチのハゲが見つかった。病院に行ったら治療で治ると診断された。この原因が労作展での苦労によるものだとしたら、このハゲは三つ目のメダルに続く勲章だと思っている。