2021年度 目路はるか教室

3Fコース

「ダイヤモンドはダイヤモンドで磨かれる。人は人で磨かれる。」~創業137年の帝国ホテルにある老舗ジュエラー4代目が語る「美しく生きる人生哲学」とは~

1985(昭和60)年卒業ウエダジュエラー 代表取締役社長

植田 友宏 氏(うえだ ともひろ)

 長年、世話人の従兄弟の濱野智之さん・同級のC組三宅伸幸君の誘いをお断りしていた『目路はるか教室』の講師を今回引き受けさせて頂いた理由は、第1に3年前に他界した父、新太郎が第4回目に講義をさせて頂き2代続けて講義をした人は居ないと言う事、第2にコロナ禍の中できっと将来に対して不安を感じている後輩達の為に、劣等生で行き当たりばったりな人生を生き抜いて来た私だからこそ熱く語る事によって少し安堵してもらいたい。また、お世話になった普通部へのご恩返しとして胸襟を開いて生徒達に語りたいと思ったからです。

【まず時代の流れ・方向性を掴んでもらいたい】

 私が一番普通部生達に伝えたかった事は時代の流れを掴むと言う事です。

 長いスパンの時代感を掴んでもらいたいと今までの時代を振り返り、これからの時代の方向性について語りました。私はジュエリーと言う人類が10万年前から身に着け始めたアイテムを扱っているので、私の頭の中の歴史観のスパンは10万年です。そして、ダイヤモンドは約10億年〜20億年前に地球の奥底マントル近く140Kmの中で高温高圧で鉛筆の芯と同じ炭素が奇跡的に結晶化されたものです。

 ウエダジュエラーも明治17年創業(1884年)、ブルガリさんと同じ創業年で世界のブランドさんと歴史はほぼ変わらず、日本で一番古いジュエラーです。

 従いまして、恐らく他の経営者よりも歴史観のスパンが長いと感じています。

【オーセンティックとモダン】

 大学ではマーケティング・SFCの大学院、政策メディア研究科ではインターネットの技術を活用した『デザイン思考』を修了しました。自分ブランディング・プレゼンテーションスキルを学んで来た事もあり、生徒達の問題発見・解決能力を引き出すフラットなディスカッション・双方向形式にしました。

 私が学ばせて頂いた時代(1994年〜96年)は、インターネットはまだまだ創成期で、ベンチャー企業に入社した様な熱い感覚を覚えています。そして、奥出直人研究室では毎晩徹夜でプログラミングやプレゼンテーションの企画書を作成し、『デザイン思考』と言う私の専門性を鍛え上げて頂けました。

【極端に生きろ!!自由が一番の価値】

 普通部生に伝えたかったのはSFCの理念にある、極端(エクストリーム)に想起し、大胆かつ無鉄砲に人生を実践することです。福澤諭吉先生は『福翁自伝』において以下のように述べています。

 “事をなすに極端を想像す”

「元来私が家におり世に処するの法を一括して、手短に申せば、すべて事の極端を想像して覚悟を定め、マサカのときに狼狽せぬように後悔せぬようにとばかり考えています。」

 私は学生時代アーティストを目指し、美大生と共にグループ展や個展を銀座で開催しており、ビジネスとアートの両立を目指し経営しております。アフターコロナの時代は大変革期の異能・『極端』が必要なのでは無いでしょうか?例えて言えば織田信長や坂本龍馬、渋沢栄一、そして福澤諭吉先生です。新しい価値観やセンスを生み出し、アイディアをビジネス化出来る異能が必要なのです。

 大谷翔平さん、ビートたけしさんの様に二刀流があると世界基準になります。

 私の場合、「オーセンティックとモダン」、そして「アートとビジネス」です。既成概念に囚われている普通部生達の脳を揺さぶって、ああ、こんなに自由に生きていいのだ、と感じてもらいたかったからです。正に『独立自尊』です。

【お手本にする人を見つける・そして体現するイメージを持つ】

 私が尊敬している人、そして生き方の手本にしている人は福澤諭吉先生と父です。

 生き方がカッコよく、本当に自由でスマートでした。人間力が高く、魅力的なオーラを纏っていました。人生のピークは常に死んだ時と設定していた方達です。その生き方は清く美しかったです。今回、講義の翌日墓参し、父やご先祖様に『目路はるか教室』で講義させて頂いたご報告をさせて頂きました。きっと天国の父・ご先祖様達も喜んでくれていると思います。最後に毎年ギリギリ落第の危機にあった私を優しく指導して下さった、普通部1年の担任の中新井先生、2年担任村上先生、3年担任加藤先生にこの場をお借りし、改めて感謝申し上げます。

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