普通部とは
教育方針 ―労作教育―
慶應義塾の目的
「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」
これは福澤諭吉の語った言葉で、次のような意味合いを持っています。
慶應義塾は単なる一学塾の立場に甘んじていることはできない。我々の目的は、わが日本国全体における気品の泉源・智徳の模範となることにあるのだ、と自ら思いを定め、家庭・社会・国家はどうあるべきか、その中で人は如何に生きるべきか、何が大切かを明らかにし、しかも口で言うだけでなく、身をもって実践することで、全社会の先導者となることを望むものである。
独立自尊
「心身の独立を全うし、自らのその身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う」
これは、慶應義塾が発表した道徳綱領「修身要領」にある「独立自尊」に関する記述です。
福澤諭吉の独立自尊とは、人が独立して自尊自重するという意味です。この言葉は「独立」と「自尊」に分けられます。「独立」とは自分で自分の身を支配して他人に頼らないことです。福澤は、独立には心の動き(智恵)の独立と経済的な独立が必要だと説きました。「自尊」とは、身の行いを高尚にすること、自分自身を立派に大切にすることです。自他の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行うことを意味する、慶應義塾の基本的な精神です。
普通部の教育方針 ―労作教育―
普通部は、慶應義塾の目的、そして義塾の基本精神である「独立自尊」を基盤に据えながら、義塾の前期中等教育を担う教育機関として「労作教育」を旨として教育活動を営んでいます。
「労作教育」とは、時間を惜しまずに、自分の心身を思う存分に活動させて、その中で自ら考え、自主的な選択や決定ができるようにする教育のことです。
普通部では労作教育を意識しながら、それぞれの教育活動*を営んでいます。日々の教育活動の中で、自ら手足を動かし時間をかけて努力と工夫を重ねて成果を得ようとする積極的な姿勢、またそのような姿勢を尊重する感性、自らの実体験を背景にした物事に対する確かな観察力を養うことを大切にしています。そのために、安易な知識偏重主義に陥ることのないよう意識しながら教育活動の形式や展開について様々に工夫を重ねています。
受験のない豊かな時間の中で、普通部生は様々なことを積み重ね、自らの行為と向かい合います。また、同様に労作を積み重ねている友人同士がお互いに刺激し合うことで、他者の存在を認め、物事をみる視野が広がっていきます。このような学びの中で、普通部生は自他を尊重する精神、自ら考えて行動するちからを養い、独立自尊の人へと育っていきます。
*普通部の教育活動
普通部における教育活動は、正課(授業、学級活動)、課外(式典、行事)、部会活動(クラブ活動)の三種類があります。授業である正課をもっとも重視し、次いで課外、部会活動と続きます。
各教科で実践している労作教育
国語
1.作文について
普通部では三年間を通して、作文(エッセイ)を書く活動を継続的に行っています。林間学校や運動会など行事に関する経験を書くもの、労作展や部活における自分のこれまでの取り組みを振り返って書くもの、普段自身が送っている生活を見つめなおして書くものなど、作文の内容は様々です。自分が経験したことや自分が持っている視点を、自らの言葉で表現し、相手に鮮明に伝わる文章にすることが主眼です。一年に十本以上作文を書く生徒も多くいます。提出された作文の中で文章として優れたもの、独自の発想や視点を提示するものなどは、毎年の「普通部会誌」に掲載され、学内で共有されます。普通部会誌への掲載を目指して文章表現を磨く生徒が多く、自身が送る日常生活を見つめる目を自ら育んでいると思います。
それ以外にも、学外の文芸コンクール・作文コンクールへの積極的な参加を促しています。学外のコンクールで受賞し、評価を受けることも彼らの文章へのモチベーションにつながっているようです。
2.短歌について
普通部では毎年夏頃、東洋大学が主催する「現代学生百人一首」への応募に、学校をあげて取り組んでいます。この時期になると生徒たちは集中的に短歌を作り、自信のある作品を送ります。短歌を作るためには、言葉を取捨選択し、自らの感覚や心情、見たものや感じたことを定型の中におさめなければなりません。表現するうえでもっといい言葉は無いか、視点を変えて描いてみてはどうか、そもそも自分の言いたいことがしっかり伝えられているのか、など、短歌を通して彼らは様々な工夫をし、考えを巡らせます。友人とのかかわりにおけるほんの一瞬を描いてみたり、自分の身近なもの、たとえば文房具やサッカーボールといったものの視点から日常を想像してみたり、言葉のリズムを使って読んだ人を面白がらせる作品を作ってみたり、出来上がる作品は様々です。
生徒全員が取り組む「東洋大学現代学生百人一首」のほかにも、短歌では「宮柊二記念館全国短歌大会」、俳句では「お~いお茶新俳句大賞」など、様々な賞に生徒たちは挑戦しています。
社会
これまで普通部の社会科教育において、特に意識して「労作教育」を実施してきたということは、地歴公民各分野ともなかったように思われます。では「労作教育」を実施してこなかったのかというと、そうではありません。従来社会科で行ってきた教員の講義を聴く、自身で工夫しながら授業内容をノートに記録する、さらにその内容を日々コツコツと理解していく。特筆するようなことではないかもしれませんが、それ自体も立派な「労作教育」だと考えられます。
それに加えて授業で扱った内容に立脚して、興味関心を広げた生徒のなかから、労作展の機会に社会科分野で更なる「労作」に挑戦する人が現れます。授業での課題と異なり労作展では、良くも悪くも生徒たちが自らのやり方で自由にテーマに取り組みます。その結果、大人の視点で考えると、より合理的で容易な取り組み方が存在するテーマに対して、自身の手と足と多くの時間を使い、「そのテーマにこんな方法で取り組むのか!」と、教員が驚愕するような「労作」がしばしば作成・提出されます。このことこそが社会科における最大の「労作教育」だと思っています。
数学
普通部の数学教育における「労作教育」の実践例としては、身の回りの事象を数学的に捉えて問題をつくる活動や図形の模型を実際に工作する活動が挙げられる。
問題づくりでは、生徒各々が興味の対象から数学的事象を見出し、級友にその案を共有する。その後、級友とのやり取りから気づいたことをもとに、設定や表現を工夫して問題を仕上げる。
模型作りでは、与えられた条件に沿って図形を作る。同じ図形を作ることもあれば同じ条件で異なる図形ができることもある。生徒は模型を作る過程で試行錯誤し、完成物を手に取ることで、図形を頭の中やノートに描いたときよりも一層多面的な気づきを得る。
これらの活動は、生徒一人一人に身体的、精神的自己活動をもとにした判断や決定の経験を促しており、「労作教育」の実践例と言える。
また、普通部の数学科では、考えた過程を式や図を用いてノートにしっかり書かせ 、説明できるようにする指導を重視してきた。例えば、問題演習では、答えだけでなく、答えに至る過程を丁寧に記述させている。この取り組みは、考えたことを論理的に表現する機会になり、問題に正解できなかった場合には理解が不十分だった箇所を明らかにする上で役立つと考えている。時間をかけて考えをまとめ、自ら課題を見出して数学の概念を修得できるように自己研鑽するという部分では、「労作教育」と重なるところがある。
理科
理科は、教科書的な知識の理解にとどまらず、本物の自然や現象を体験・観察することを最も大切にしています。知識を身につけることはもちろん、複雑な自然をじっくり観察して問いを立て、それを解決する力をつけることも重要だと考えています。例えば、ある生物を観察するときには、その形や色、においを確かめ、各部の個数を数えます。対象にまっすぐ向き合い、具体的で詳細な情報を手に入れることを求めています。実験・観察で得られた結果をもとにして報告書(レポート)を書くときには、結果を図や表に整理してそこからわかることを分析し、情報を正しく調べて組み合わせて、論理的な文章を構築することを求めています。最初は苦労しますが、生徒は在学中60本以上の報告書を書くことになるので、論理的思考力・表現力が培われます。さらに、身の回りの自然を観察するために生徒全員がフィールドノートを持ち、日常の自然観察を通して観察眼を磨き上げています。これらの活動を通して、「自ら考え、自ら学ぶ」姿勢を養っています。
音楽
実技を中心に進めている音楽科では、労作教育そのものを体現していると言える。
1年生ではハーモニカ・和太鼓・篠笛。2年生ではクラシックギター・ハンドベル。3年時にはギターによる弾き歌い・56個のハンドベルを使っての合奏・音楽会クラス演奏等を行なっている。
ただ漫然と演奏するのではなく、どのように表現したいのか、それを、どう練習すると実現できるかを自ら考えながら取り組んでいる。また他者とアンサンブルすることによる喜び、ワクワク感も体験している。一つの課題を完璧ではないにせよ、やり遂げた時、また失敗しても地道に取り組んできた過程は大変重要である。
美術
労作教育において美術科は非常に重要な役割を果たしています。美術科は教科の特性上、教育目標が小林澄兄先生の目指した労作教育の目的と図らずも一致しています。それは即ち、創造性や問題解決能力を育み、自立心を養うことです。
授業では単に絵を描くだけではなく、様々な素材や道具を用意して、それらに触れることで子供たちの興味を引き出し、五感を使いながら表現することで創造性や問題解決能力を育てます。また、制作過程で表現したいイメージと、実際の作品とのギャップを埋めるために試行錯誤を繰り返すことで、集中力や忍耐力もつき自立心が養われます。ですから制作におけるマニュアルのようなものは極力与えません。
具体的には一般的な絵画制作の他に、1年次は陶芸、版画、2年次は彫塑、3年次はガラス、石彫といった多様な課題を与え、空間認識能力や構成力を高めると共に、自然素材に触れさせることも大切にしています。現代社会において子供たちは多くの情報に囲まれていますが、それらのほとんどは実体のないものです。普通部の美術では実際に自分の手でモノを作り上げることに拘って、実技中心の授業を行っています。
技術家庭
技術家庭科は、「普通部こそ労作教育が最も必要な学校である」と確信のもとに大正十五年より当時中学校に存在しなかったものづくりの科目として「手工科」を設置したことに由来します。教科の名称こそ変わりましたが、現在でも技術家庭科は普通部生の労作を担う教科として「労作の喜び、汗水流して労作によって成果を得る喜び」を味わうこと重視しています。
具体的には、木材・金属を用いた手工工作を扱っています。一例として木材では升や椅子、金属では工具箱や機械万力といった作品を製作します。難しい机上の知識は必要ありません。しかし、いずれの工作物もただ作れば良いということではなく、1mm単位、0.1mm単位の精密さを追求することが要求されます。図面を読み、寸法や形状を正確に把握し、材料や作品の構造を細かく観察しながら、工具や機械の特性と自らの身体の特性との折り合いを付けてモノを作っていきます。
ものづくりでは汚れ、危険、筋力、臭いといった「スマート」とは対極にある要素を含む仕事が多々生じます。こういった仕事を忌み嫌わず積極的に取り組める根性のある普通部生の育成も技術家庭科の大事な役割だと思っています。
書道
書道科では、シンプルに「繰り返し書く」行為を重ねていきます。静かな空間の中で墨の香りを嗅ぎ、白い半紙と向き合う中で「線質」にこだわり、頭の先から足の爪の先までの感覚や意識を筆先1点に集め、ひたすら線を引く行為を積み重ねていきます。白いキャンバスに黒をどのようにレイアウトして表現すればいいのか。自分自身との闘いです。暖かい線・冷たい線・硬い線・やわらかい線・深い線など、ひかれた線には感情が宿ります。初めのうちはあまり変化が起こりません。自分自身でも変化に気が付きません。この格闘こそが最も重要で時間を要します。試行錯誤しながら、筆と紙との筆触を基に感覚が養われていきます。いずれ、感情を線一本にコントロールし切断すれば鮮血がほとばしるような線が引けるようになり、隷属的でない自己表現へとつながっていきます。生徒それぞれがそれぞれの表現力につながりそれぞれの魅力となります。自身の葛藤によって、自身の表現についてブレない信念が培われます。また確かな感触・感覚が身につくことで他者の表現に対しての理解力・共感力も身についていきます。
普通部書道科として、確かな人間力を育成するための仕掛けとして非常に重要だと考えています。
保健体育
保健体育科では丈夫で逞しい身体づくりを念頭に心身ともに健全な男子中学生の育成を目指しています。体育分野においては弛まない反復を通じ、成功体験を得るための積み重ねを体験することで、基礎技術、基礎体力の向上だけでなく他者との関わりについて考える力を養っています。また自身を客観的に観て分析することで、その競技やスポーツにおける理論を自身の頭で考え学ぶ力の育成にも力を入れています。保健分野においては暮らしに関わるテーマ、身体に関する疑問、動きの仕組み等、実技とは異なる視点から学習することを通じ、自分の生活や身体に興味を持つことが大切だと考えています。体育分野と保健分野を自身の生活の中で相互に感じ取り、バランスの取れた心と身体の育成を目指すことこそ、保健体育科における労作教育であると考えます。
英語
通常の英語授業では、検定教科書やその他の教材を用いて、中学段階で学ぶべき基本的な語いや文法の習得を中心として、「聞く」「読む」「話す」「書く」の4技能をバランス良く伸ばすことを目指しています。自発的で発展的な学びを追求する「労作教育」の具体例として、「多読」の授業が行われています。Oxford Reading Treeの多読用テキスト(約200冊)を用いて、たくさんの英文テキストを各生徒が「読む」活動に取り組んでいます。図書室にも同様のテキストが用意されており、授業以外にも多読に取り組む場を提供しています。また、「話す」ことの発展的な活動として、英語によるプレゼンテーションの授業があります。短めの英文を口頭発表する初歩レベルから始めて、各自がテーマを決めてスピーチ原稿を作り、発表用のスライドも作成するなど、中学生としてやや高度なレベルにも挑戦します。英語習得のための発展的な取り組みとしては、土曜日の選択授業や国際交流プログラムへの参加(希望制)もあげられます。また、英検CATやTOEFL(Primary/Junior)テストなどの受験機会を提供することで、英語力の伸びを各自が把握し、将来の海外留学(塾内の派遣留学制度など)も視野に入れた動機づけ向上に役立つようにしています。