労作展

美術科

僕らの大冒険

3年Y.I.君

「命を吹き込む」これは神のみが成し得る技である。本来動くはずのないものに魂を与えることは、頭や心の中でのみ繰り広げられる空想なのだ。

 幼い頃、トイボックスのおもちゃで遊んだのは、手で押して小さな電車を走らせたのは、無心になって絵本を読んだのは、おもしろく、かっこいいから。だが本当にそれだけだろうか? 皆、気づいていないだけなのではないか。僕達は、幼心のどこかで、願っていた。

  -動いて欲しい。

 そう、目の前の動かない遊び相手が、いつか何気無く「やあ」、と手を振ってくれるその日がやってくることを、密かに願っていたのだ。

 どこかに隠れていたこの幼心の欠片から僕は、その「願い」を実現させたかった。静止した物体を少しづつ動かし連続させることによって命を与える。ストップモーション-コマ撮り-アニメーションに魅力を感じていた僕は、この技法によって、子供も更には大人もが楽しめる「命が吹き込まれた」奇跡の瞬間を、つたえたいと思った。

 その思いを労作展に紐付けたのが、一年生の時であった。三年間に渡る壮大な計画は、この思いから始まったのだ。

 三年間三作品の主役は、イモムシのイーモくんである。彼は、粘土から生まれた。そう、形を作り命を与えたのは、他でもないこの僕なのである。

 長いようで短いこの三年間の中で、僕はストップモーションー命を吹き込む技術ーに磨きをかけ続けた。どうすればイーモくんを自然に動かせるか、どうすれば彼がおもしろく冒険できるか、どうすれば世界を広く表現でき、どうすれば彼に感情を、友情を、小さな体に潜む大きな心を与えられるのか。

 一年生から二年生は、短編から中編へと進化させたが、集大成である今年の最大の革新は、長編作品への挑戦であった。

 僕は、更なる驚きと感想を作品に与えるため、新たに屋外での撮影にも挑んだ。しかしこれは想像を絶する困難さ、至難の業であった。粘土は予想以上に乾燥に弱く、屋外の日差しと風は屋内に比べ、各段に保湿の手間を取らせる。そして、今までこれほど陽の傾きの速さを実感したことはなかっただろう。自然の光と影の動きへの対応にも迫られた。

 更に前作と大きく異なる点は、登場するおもちゃの多さだ。殆どのシーンで、イーモくんと共に二体以上のおもちゃを動かしている。この作業の険しさは、制作者である僕にしか分からないかもしれない。一カット一カット手で物を微かに動かしている姿を想像してもらえば、地道な作業の道のりが伝わるだろうか。おもちゃを登場させればさせる程、完成への道は長く遠くなってしまうのだ。

 こうして、困難を顧みず新たな要素を取り入れ、努力を積み重ねこれらを克服した暁には、これぞ労作、と言える作品を作り上げることができたと思う。長編への挑戦を果たしたのだ。イーモくんは生き生きと冒険を楽しんだはずである。彼には、満足してもらえただろうか。

 苦労して完成させた作品の最大の喜びは、友人達からの言葉だった。おもしろかった、楽しませてもらった、三年間続けることができた。感謝の気持ちで胸がいっぱいである。

 そして三年間、僕の思いを届けるために、共に数々の冒険に挑んでくれたイーモくんには、感謝してもしきれない。

 本当にありがとう。

 さて、再びイーモくんの心に命を吹き込むことができるのは、いつだろうか。彼と共にまた大冒険に出発できる日が待ち遠しい。