書道科
去年を糧に
3年A.S.君
「最後の労作展、結果がどうであれ、最後なんだ」そう思い、教室に足を運ぼうとした。廊下で友人に特別展示だったと聞かされ、あまりの衝撃と興奮に胸に緊迫した痛みがじんわりと伝わった。
コロナ禍だったこともあり、僕は実際に労作展を見ることができずに普通部に入学した。しかし、僕の中で労作展は普通部入学への動機のひとつだった。僕は小学生のころから将棋が趣味だった。素人が将棋駒を作っているという動画を父が見せてくれて、「労作展で作ってみたい」と思ったのだ。
一年生の夏休みが始まり、将棋駒の製作に取り掛かった。初めての労作展、見に行ったことがなかったので余計にイメージが湧かなかった。いろんな苦悩の中できた作品は思いの外、賞をいただくことができた。
二年生の労作展ではやりたいことが見つからず、明確な意志を持たずに得意な書道科で取り組むことにした。当時は正直、書道科は書くだけで楽に思っていて、一年生での受賞で浮かれている部分もあった。この自分への過信が要因で賞を逃した。蘭亭序の臨書に決めたのだが、初めての臨書で半切二枚の作品にしたり蘭亭序の全臨をしてみたりと、無謀なチャレンジが多かった。また、ちゃんとした計画も立てずにやっつけで書いていた。先生の講評には「文字に硬い部分がある、連綿を意識し、半紙の練習を続けよう」といったことが書かれていた。まったく気にしていなかったことで、目がぼんやりとした。費やした時間と紙の枚数だけが多い労作に終わったのだと気付いた。搬入日の「こんなに書いてんの賞確定じゃん」といった友人の言葉が突き刺さっていた。
三年生はリベンジの気持ちで書道科を選択した。やはり明確な目標を持ったほうが自分の場合は集中して取り組める。去年の労作展で行書が好きになり、さらに形を崩した草書に興味を持った。四月に図書館に行った。図書館に草書の本は一冊だけ、それが「書譜」だった。去年は無理に挑戦していたが、今年は半切一枚だけ。シンプルだが、この一枚の完成にこの夏で向き合おうと決意した。
一学期を経て夏休みに入り、本格的に書譜と向き合うことにした。書譜には文字のつながり、いわゆる連綿というものがない。去年の先生のアドバイスが生かせないのかとがっかりした時もあった。だが、去年の講評どおりに半紙の練習を続けた。連綿がなくても文字と文字の間の流れを想像させながら、一文字が独立した美になるよう書くのにかなり苦労した。墨量も様々な視点から決め、それに合うように墨継ぎをどこでどのくらいするのかを考えた。文字の大きさや配置も書いていく中で調整した。
挙げだすときりがないようなことを気にしながら練習していたが、最後の二週間はもう感覚で書けるほどになっていた。練習量は次第に増えていき、半切は百二十枚、半紙は七百枚以上になった。僕が思うに、行草はほかの書体と同じように細かい分析なども必要だが、膨大な練習で慣れることで作品が仕上がるのだ。
心臓の鼓動が強く聞こえたまま教室に入る。一年半前の自分に見せてやればどう思うだろうか。いや、書道科は全くもって楽なものではないと分かってくれる。なぜなら教室入り口の僕の制作日誌に、確かに「賞」という字とペンマークが入った紙があるからだ。