労作展

2024年度労作展 受賞作品

社会科

歴史と僕と労作展

3年R.Y.君

 今年は喜びではなく、安堵だった。
 労作展に憧れを持ち入学した普通部。歴史が好きだった僕は、入学前から決めていた新選組の池田屋事件について論文を書いた。初めて書く論文は、僕の熱い思いだけで作成し、結果は惨敗。構成が甘いと先生に指摘され、思いだけでは到達できない労作展の厳しさを思い知った。なぜ賞がとれなかったのか、細かく検証した。様々な要因が浮き彫りになったことで、歴史で何としてでも賞をとるという目標を持ち次の年に挑んだ。
 二年目は、家康を二回に渡って破った真田昌幸の上田合戦。現地調査を取り入れ、舞台となった上田城や博物館を回り、上田市役所の専門家から話を伺うことができ、論文に活かせた。また、前年にはなかった論文作成の過程が分かるように工夫し、写真を貼った取材ノートと論文八四ページを完成させた。結果が気になり、常にソワソワしていた当日、僕の目に飛び込んできたのは、自分の論文に貼られた銀札。感じたことのない喜びで胸が熱くなるのを感じた。
 三年目の今年。昨年の大久保先生の講評にあった、来年はより濃いものでないと厳しい、もっと広い目で歴史を捉えるべきだという言葉がテーマの決め手となった。そこで思いついたのが、秀吉対家康の戦いとなった一五八五年の小牧・長久手の戦いである。後の天下人同士がどのような戦いを繰り広げたのか、そこに歴史を読み解く鍵があり、三年間の集大成にふさわしいと考えた。
 夏休みに入り、今年も現地調査に出掛けた。今回の舞台は愛知県小牧市と長久手市。小牧市役所の方と事前にメールでやり取りを行い、万全を期して出発した。現地調査の中、小牧・長久手の戦いの第一人者である岩崎城学芸員の内貴さんと偶然お会いすることができたのだ。真摯に僕の質問に答えて下さり、歴史好きにはたまらない刺激的なお話も聞くことができ、大いに勉強になった。何よりも、内貴さんのような専門家の方に質問の鋭さや知識の豊富さをお褒めいただいたことが大きな原動力となり、僕を奮い立たせた。
 録音した専門家の話を取材ノートに文字起こしし、収録することにした。論文作成の途中で内貴さんに質問や文章の校正をしてもらいながら、ついに一一四ページの論文と、一冊半にも渡る取材ノートを完成させることができた。論文は無駄な章を省いたことで内容が濃くなり、取材ノートは文字起こしや細かい気付きを記すことで内容を豊富にした。また、今年は論文の和綴じを行い、丁寧に仕上げた。去年より格段に良くなっている手応えはあったが、学年が上がるにつれてどんどん高度な内容が求められていくことはわかっている。その一方で今年もやれることはやった、賞をとれると思っている自分がいた。しかし、同じ歴史分野で提出する友人は五〇〇ページの超大作らしいと聞いたことも僕を余計に焦らせた。
 だからこそ、去年同様に朝一で向かった教室で作品に銀札がついているのを見た時は歓喜ではなく安堵だったのだ。自分だけの思いだけでは完成しなかった。携わってくれた方々、過去の反省点を整理した綿密さがあってこそ、完成できたのだと思っている。この作品を評価していただいたことが歴史を愛し続けている僕には何よりの褒美で、最高の日となった。
 そして、僕の労作展は終わった。自分でテーマを決め、膨大な資料を読み解き、現地調査を行い、考察をする。二年前の挫折や論文執筆中に襲う不安、絶対にいけるという根拠のない自信などを経て、僕を精神的に成長させてくれたかけがえのないものとなった。歴史とはなにか、という問いに歴史作家の司馬遼太郎はこう答える。「これは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」僕もこの大きな世界の一員だ。その中の小さな部分に僕の歴史を刻んでいく。