労作展

2023年度労作展 受賞作品

社会科

たかが三年されど三年

3年Y.T.君

 僕が最初に労作展という場にいたのは、 小学4年生の時。 数々の作品に僕は圧倒された。 木で作られた戦艦の模型。 綺麗なタイルが貼られた恐竜、 などなど。 自分もこんな作品を作りたい、 そう思うようになった。 労作展は、 僕が普通部を目指すきっかけとなったのだ。
 最初の労作展では、 テーマはかなり悩んだ。 悩んだ末、 架空の世界で自分なりに城を築くことにした。 僕は城が大好きだ。 小学生の時には、 自由研究で二条城や小田原城など、 実際にある城を調べてきた。 そこで今度は、 自分ならどんな城を築くか、 考えてみようと思ったのである。
 一年次は、 「もしも僕が戦国時代の神奈川県に城を築くなら」 とした。 自分で候補地を選び、 どこが築城に適しているか考えた。 初めてで課題も多かったが、 賞を取ることができた。 二年次はその発展版ということで 「もしも僕が江戸時代の川崎市に城を築くなら」 として、 近世城郭を研究した。 一年次より満足できる作品になり、 賞も取ることができた。
 そして迎えた三回目の労作展。 悔いのないよう取り組もうと決めていた。 しかし、 まずテーマ決めで苦労した。 二年間城をテーマにしてきたが、 今年はもうネタ切れなのだ。 計画表で提出した 「少子高齢化とまちづくり」 は、 あまりに大きいテーマだった。 これでは何もまとまらない。 七月に入って、 僕はやむを得ず方向転換することになってしまったのだ。
 新しいテーマを考えていると、 父に 「城下町のまちづくりはどう?」 と言われた。 はっとした。 城下町。 意外にいいかもしれない。 そう言えば父の実家は、 毛利家の城下町だった、 山口県の萩にある。 これならいけるかもしれない。 そして藤森先生と相談し、 「城下町萩の地理的変遷と今後のまちづくりへの提案」 にテーマを変えた。 八月初めのことである。
 論文提出は九月一二日。 時間がなさすぎる。 まず、 萩の歴史や城下町の構造を調べた。 その後参考にするために、 倉敷美観地区と松江城下町に行ってみた。 白壁の建物が綺麗で賑やかな美観地区に対し、 松江は多くが宅地化されており。 歴史のある街でもこうも違うのかと驚いた。
 そしていよいよ萩に行った。 ひたすら史跡を巡り、 街の特徴を掴む。 萩は史跡があちこちにあることに加え、 真夏の炎天下を移動するのでとても大変だった。 萩は賑わってはいないが、 とても落ちついた雰囲気で、 いいところだなと思った。
 帰ってきて、 現地で分かったこと、 考えたことをひたすらパソコンに打ち込んだ。 考察では、 萩のまちづくりのいいところと悪いところを見つけ出した。 それらを踏まえて、 もっとこうするべきだと思ったことを、 「提案」 の形でまとめていく。 説得力のある文章になるよう、 最後までこだわった。 提出日前日の深夜までやって、 ようやく完成した。
 最後に模型を作る。 粘土を板にのせて萩の地形を作っていく。 建物を作って色を塗ったら、 地形の上にのせていく。 すると、 一か月前に歩いた街並みが思い出されてきた。 最後の建物をのせ終わり、 これが本当の完成である。
 どうにかできあがった僕の作品は、 模型を含めて一三点、 机一〇台余りを占領した。 改めて眺めるとすごいボリュームである。 我ながらよくできたなと思った。 そして迎えた労作展当日。 僕の論文には、 銀色の 「賞」 の札が貼られていた。
 労作展。 答えのない自分だけの問いに向き合い、 自分の足で調査をして、 自分で考える。 僕にとって全く新しい経験だった。 もうできないのは少し寂しい。 しかし、 自分の好きなテーマを研究でき、 三年連続で賞を取れた。 そして何より楽しむことができた。 たかが三年されど三年。 この三年間の 「労作」 で得たものは、 知識だけではない。 何かに没頭することの楽しさ、 諦めずに努力することの大切さ、 まだまだある。 これらの経験は、 労作展だからこそ得ることのできた、 とても貴重なものだ。 いつかこれらが役に立つ時が来るまで、 三つ並んだメダルと共に、 大事に残しておきたい。
 最後に、 多くのアドバイスをいただいた藤森先生、 大久保忠宗先生、 山﨑先生に改めてお礼を申し上げます。 本当にありがとうございました。