労作展

2022年度労作展 受賞作品

音楽科

愛の夢 第3番 演奏と分析

3年S.H君

 私は音楽なんて嫌いだ。人を簡単に、調子に乗らせてしまうから。昨年度も、労作展は音楽科に取り組んだ。ある程度経験があったから、楽できそうだなという適当な理由で。結果として、演奏は全く完成しきってない状態のまま終わってしまった。しかしながら、「失敗を知ったから」とか「次はきっと上手くいく」とか、そうやって勘違いして今年度も音楽科に臨んだ。結果は何も変わらなかった。私は何も成長していない。
 そもそも、こういった作文にはもっと真面目に取り組んだ人のものを載せるべきである。この文の隣には、弛まぬ努力の末満足のいく作品を作り上げたキラキラとした作文が載っているだろう。だから私が作文を書くことになったと聞いたときは正直困惑した。今だって、書くことがなくて困っている。
 ここで、私の労作展への取り組みを振り返ってみる。音楽科に出すことと演奏する曲は早いうちから決まった。どちらも、友人から提案を受けたからだ。特にやりたいことも決まってなかったので、それを受け入れた。一瞬他の教科に取り組もうとしたこともあったが、やる気が起きず断念した。では音楽科へのやる気はあったかというとそうでもなく、日々のんびりと譜読みをしたりしなかったりして過ごし、曲の半分も読みきっていない状態で夏休みを迎える。そこから大きく心情が変わった訳でもなくだらだらと練習し、ぎりぎり譜読みが終わったあたりで提出期限を迎えた。提出した音源にはミスタッチも複数あった。制作日誌は急いで書き上げた。やろうとしていた楽曲分析はできないまま終わった。
 迎えたコンサート当日のこと、私の順番は最後だった。私の前に演奏した人たちは、みんな本当に上手だった。奏でるメロディーの一音一音が、彼らの努力を語っていた。とても胸が苦しくなった。そして訪れた私の番。緊張してミスを重ね、思うように表現しきれないまま演奏が終わった。その後自分の作品を見に行ったが、当然賞はついていなかった。友人と、三年間一回も賞がとれなかったという話をして、もう労作展に取り組むことはないのだと初めて実感して辛くなった。
 三年間、一度も「労作」と呼べるような態度を取れなかった。そう考えると自分を責める思いが強くなって苦しくなる。そんな私の気持ちを楽にしたものもまた音楽であった。何かに駆られたような気分になって僕が演奏した曲のプロの演奏家の動画を見た。本当に綺麗だった。抱えていたものが浄化されたような感じだった。音楽によって負った傷を音楽に救われるとは皮肉なものである。思えば去年もこうして励まされたような気がする。音楽で落ち込み、また音楽に心を打たれ、これを繰り返してきたのだ。
「O lieb, so lang du liben kannst!」、「愛しうる限り愛せ」。これは僕が演奏した曲のテーマとなった詩だ。これからも音楽で挫折し、その度音楽を愛することだろう。僕は音楽が好きだ。