労作展

2022年度労作展 受賞作品

理科

慶應義塾普通部の植物相調査と植生調査

2年K.K君

 運動会が近づいたある日のことである。本館の用務員室横から外に出たところで、色づき始めたハナミズキの紅葉を何気に見やると、自分の背よりかなり高いところで、一重の薄紅色の花がちらほら咲いている。秋にハナミズキが咲く訳がない。よく見れば、ハナミズキのそばに植えられ、根元から伸びる幹や枝が丸裸になった木が花をつけていたのだ。葉は鋸歯のある五枚羽状複葉。
「バラだ。」
思わず小さく叫んだ。同時に自分の顔が引きつるのが分かった。夏休みの植物調査で枯れ木だと無視していたものだからだ。「これがきっと佐々木先生のバラに違いない。」 ため息をついてからもう一度枝先を見上げると、青い空と花水木の紅葉を背景に、薔薇の花は涼しげに秋風に揺れている。私のことを笑っているようだ。佐々木先生のことは存じ上げないし、このバラの所縁も知らない。ただ谷口先生・大久保先生からは 「構内に佐々木先生のバラの記念植樹があるはずだ」 とアドバイスを頂いていた。調査のとき、私はなぜこの木を枯れていると決めつけてしまったのだろうか。真夏だから花は咲いていなかったとしても、葉は茂っていただろうに。木が生きていたことの喜びよりも、自分の調査能力を恥じる気持ちが勝った。
 この出来事があってからというもの自分の労作展の内容に不安を覚えるようになった。暇を見つけては調査を行った場所を見直すことにした。テニスコートの本館側には、ハクウンボク、日英友好のヨーロッパナラ、ニュートンのリンゴの木など、姿の美しい木や貴重な記念樹が並んでいる。目路はるかホールへ降りるスロープ付近は、建造物の設計が凝っていることもあって、普通部の中でもとりわけ気に入っているエリアの一つだ。法面に山菜で有名なゼンマイを見つけた場所でもある(密かに春が待ち遠しい)。その先の本館と南食堂をつなぐ橋桁の下で思わず私は立ち止まった。ホウライシダの大群生である。園芸植物のアジアンタムといった方が分かりやすいだろうか。夏にここでホウライシダが繁茂していた記憶はない。わが目を疑うふさふさとしたシダの厚い絨毯が恨めしく思えた。――「植生調査の分析結果を修正しなければなるまい。」
 正直に、告白すれば、これらは労作展後に明らかになった調査ミスや手抜かりの一部なのである。実際の調査は、普通部の中で見つけた一つ一つの植物に対し、生育場所の詳細確認、観察、採集、押し葉標本作成、種の同定を繰り返す地道な作業であった。特に同定では図鑑と格闘しながら多くの時間を費した。それでも今、こうして構内を歩いてみると、あの時に見つけられなかった植物が次から次へと出てくるし、同定の誤りにも気づく。
 三年生の労作展で今回の調査を継続するかどうか、まだ決めていない。ただ一つ言えるのは、夏の盛りに再び調査を行う意義は低いということだ。植物は一年を通じ、芽を吹き、葉を広げ、花を咲かせ、実を結ぶ。特定の季節にしか姿を見せない植物もある。そうだ、労作展で発表するかどうかではなく、普段から四季折々の植物を観察してみよう。そう思い直した瞬間に、普通部の植物がまた輝いて見えた。