労作展

2022年度労作展 受賞作品

国語科

私製新聞「塵積」

3年M.G君

 普通部生として迎える最後の夏、人生最後となる労作展の作品製作。今年、僕が製作したのは「私製新聞『塵積』」だ。
 最初に新聞を書こうと思ったのは一年生の時の労作展が終わったその日の、父の書斎であった。初の作品製作がうまくいかず、少ししょんぼりしていた僕に父が見せてくれたのは数十年前、父が普通部生だった時に製作した労作展の作品の新聞だった。中学生らしい視点から書かれた記事、くっきり丁寧に書かれた見出し、本物の新聞のように整えられたレイアウト。そして、題を記した札に誇らしげにつるされていた「賞」の帯。それらは、次の労作展では何を作ろうかと考えていた僕の心に薪をくべ、熱い炎をともらせるのに十分な代物だった。
 だが、二年生の作品提出日の僕の心には、達成感の「た」の字も満足感の 「ま」 の字もなかった。ただ唯一あったのは、数ピースなくしてしまったパズルへの感情のような、不完全なものへの 「気持ち悪さ」 だけだった。それもそのはず、製作開始時から目標としていた合計五十枚の新聞の製作には到底届かなかったし、記事一枚一枚の質も、胸を張れるレベルではなかったのだ。日吉へ向かう電車内では、作品が入った袋を片手に提げ、これを提示してほしくない、そして労作展後には返却してほしくない、とすら思ってしまった。
 そんな負の感情を心の中に秘めて始めた、人生最後の労作展の作品製作。しかし、なぜ僕はもう一度新聞を書こうと思ったのか。それはやはり、自分で文章を書くということが楽しかったからだ。学校での作文の課題とは違い、何を書くのか、どのくらい書くのか、どのように書くのかは自由で、0から自分の世界を作ることができる。一文書いては消し、また一文書いては消し、そして一文書く、そんな自分の世界をいかに表現するかを模索するもどかしいような時間が、かけがえのない時間だったと気付いたのだ。今度こそ自信をもって労作展へ持ち寄ることができる作品を作ってやろう。秘めた負の感情は、心にともる炎の薪となり、炎を一層大きいものにしてくれた。
 新聞の題は「塵積」に決めた。「塵も積もれば山となる」の言葉から二文字をとって「塵積」。全ての新聞の右上にドンと構え、自分で書いた文字ながら頼もしささえ感じるその二文字は、絶対に五十枚書いてやる、という意志の表れだったのだ。そうなると、なんとしてでも五十枚書くしかなくなる。夏休み中は一日八時間ほど机に向かいスパートをかけ、作品提出日の前日に悲願の第五十号を製作することができた。最後に「終」の文字を書き終えた瞬間、達成感や満足感という簡単な言葉で済ませたくない、何とも形容しがたい快感が足先から脳天まで駆け巡り、ぶるっと震えてしまった。
 心なしか前年と比べて少し重い、作品が入った袋を片手に提げて普通部に向かう僕の心は晴れやかだった。これが展示されるのが楽しみだ、労作展後、返却された作品を読み返すのも楽しみだ、と心から思うことができた。
 しかし、いくら文章を書くのが楽しかったとはいえ、新聞製作の日々、特に夏休みの五十数日間は楽しいだけの時間ではなかった。下書きをPCに打ち込んでいる時、下書きを推敲する時、用紙に清書をする時、いつも五十という数字が頭の中にドカッと座り込み、僕の事を「『塵積』と名付けておいて、目標を達成できないなんてありえないぞ」と睨んできた。毎晩ベッドに入ると、ここで寝てしまって良いのだろうかと考えてしまい、少し胃がキリキリと痛むような感覚を感じていた。けれども、そんな苦しい記憶も今思い返すと、まるでオセロのコマが黒から白に変わるように、良い思い出の一部になってくれる。
 数年後の九月の上旬。電車に乗り、重そうな荷物を持った普通部生をたまたま見かける。そこで僕はこの、胃がキリキリ痛む夏休みを思い出すだろう。そんな一生の宝物になるであろう思い出を胸に、何年たっても、大人になっても、「塵も積もれば山となる」という言葉を忘れずに、楽しく努力していきたい。