国語科
信念
3年T.O.君
「ふーっ。終わった」
自分の作品に付けられた“賞”という文字を見て、嬉しいというより安堵した。というのも、二年連続で賞をいただいており、今年の賞へのプレッシャーはかなり大きかったのである。執筆中、こんな中身じゃ賞は獲れないと、何度原稿用紙に八つ当たりしたことか。しかし、そんな時、母は僕にいつもこう言った。
「賞なんか気にしないで、自分の“信念”を貫きなさい」
何だよ信念って。僕はいつもそう母に返していた。しかし、やっぱり、執筆に信念ってあるかもしれない。労作展から解放され、僕は最近思うようになった。では、僕の信念って何だろう? 三年間の集大成として、最後にこのことを考えたい。
まず、軽く、僕の作品について説明をしておく。労作展で見た人なら分かるだろうが、僕は三年間推理小説のシリーズ本を書いた。シリーズ本にしたのは、当初は登場人物を作り直すのが面倒だったからであるが、そのおかげで今年なんかは主人公にかなり愛着を持って執筆ができた。
さてさて、作品の紹介はこれぐらいにしておいて、執筆する上での僕の信念について述べよう。まず真っ先にあがるのは、下書きも清書もすべて“手書き”ということだろう。下書き百枚、清書百枚の計二百枚(原稿用紙)を手書きすることは地獄で、毎年苦しめられている。こんなに書いてもまだ十枚かよ、と清書中に絶望することは労作展制作のハイライトの筆頭だ。じゃあパソコン打ちをすれば良いと思うかもしれないが、ここには僕の“信念”がある。だって、パソコンの均一な文字より、自分の文字のほうが読み返したときに“労作”した感が出るだろう。それから、小説のテーマにも“信念”がある。それは、テーマにその年の時事ネタを使うことだ。僕は、一年目は現役ドラフト(プロ野球)、二年目は犯罪組織、三年目は万博という感じで用いた。理由は、小説は常に世間の情勢とからみあわないといけないという思いがあるからだ。なにしろ、テーマがその時の世間とかけ離れていれば、読者の心には残ってもらえない。読者の記憶に残らなければ次作は読んでもらえないのだから、これは“信念”というか当たり前のことかもしれない。
本当はもっと伝えたい“信念”があったのだが、原稿に制限があるのでこれくらいに留めておく。僕としては、みなさんに書く上で“信念”を持ってほしい、いや気づいてほしい。同じ物語など一つもないのだから、きっと探せば“信念”があるはずだ。他教科と違い明確なゴールがないからこそ、“信念”を持つことで自分のベストを追い求め続けられるんだ!
そして、最後に、三年間僕の小説に賞をつけ続け、こういった舞台まで用意してくださった国語科の先生に感謝申し上げたい。中には、廊下ですれ違うたびに「小説は書き始めたか? 楽しみにしているぞ」と一ファンのように接してくださる先生もいて、大変励みになった。そして、このエッセイがいつの日か世間に取り上げられるよう、立派な大人になりたいと思う。
