国語科
一歩踏み出す勇気
3年S.S.君
「あ、やった。賞ついてる」そんな声が聞こえた気がした。でも、それだけ。胸に「KEIO」の文字が入ったユニフォーム姿の少年は次の瞬間、三Bの教室から駆け出して行った。
二〇二四年九月二十六日。最後の労作展、その初日。僕は慌ただしく、野球部のバックを持って家を出た。いつも通りギリギリに電車に飛び乗り、「フーッ」と息を吐く。その息と共にいつの間にか緊張は消え、作品製作にかけた思いが蘇ってきた。
「最後の労作展」。それは労作展に憧れて普通部に入った僕にとっては何よりも重いもの。この夏を過ぎれば、二度とひと夏をかけて一つの作品に打ち込むような機会は来ないだろう。二度と訪れない機会を生かし、悔いの残らないものにするために、そう思って僕が選んだのが小説執筆だった。「最後は得意な科目で楽しんで労作展を終わらせよう」という気持ちが僕の背中を押したのだった。
だが、その二ヶ月後、林間学校から帰ってきた頃になっても、僕の労作展は何一つ進んでいなかった。その一番大きな理由、それは「登場人物の設定が決まらない」ということだった。テーマを決めた頃には何か出てくるだろう、くらいに楽観視していた。しかし、それもそのはず。僕はこれまで二年間、時間をかければ終わる、作業系の作品を仕上げていた。しかし、小説は登場人物やストーリーが決まらないと何も始まらない。二ヶ月前に「うまくいきそう」に感じていた気持ちはどこへ。暗雲が立ち込めてくる。
そこで僕は目標転換を図った。僕は、今まで普通の文庫本くらいの小説を書くための見通しが立つまで書き出せないと思っていた。しかし、それではここから一ヶ月後にも同じ状態になるだろう。そこで、まず書いてみることにした。ただ、書き切ったと思った時にページ数を見たら僅か十七ページ。僕は絶望した。最後は完璧な小説を仕上げて文句なしの賞をとってやろうと思っていたのに。なにしろ、自分が最初に書きたいと思っていたことは全て書き切っているのだ。新しい案が出て来る訳もなく、僕の最初の小説は十七ページで終わってしまった。
「どうして書けないのだろうか」自問自答する日々。だがその答えはある一言で見つかった。「結局何を言いたいの?」と言われて、僕は答えることができなかったのだ。「ハッピーエンドにはしたくない」「推理小説にしたい」ではいくらなんでもあやふやすぎる。発想が広がるわけがない。それはつまり、一生小説が作れないということだ。僕は今までの合計十七ページの小説を捨て、新たに一から書き始める決心をした。
新たに一から、そう言うと何やらうまく行ったように聞こえる。だがしかし、僕の労作展はここからも順風満帆とはならなかった。もっとも、テーマを決めてからは書きやすくなったし、書いている間にアイデアが次々と思いつくと言うことも多くなった。だが、作業ノートがアイデアで埋められていく中で、また僕は行き詰まる。ズバリ、結末に繋げられないのだ。例えて言うなら登山でゴールが目前なのにも関わらず、綱を持っていないと行くことができないルートで綱を持っていない、そんな感覚だ。ゴールは目前なのに…。
そして、労作展初日。ざわざわとした空気の中、展覧会は幕を開ける。肝心の僕の作品はと言うと…賞だ! 僕は二年ぶりに自分の名札の下に賞の文字がついている景色を見ることができた。終わりよければ全てよし、僕はその現実が嬉しくてたまらなかった。
しかし、この労作展はハッピーエンドで終わりではない。そう、途中でとばした結末への繋ぎ方である。僕はその部分を最後まで克服することができなかったのだ。案の定、従兄弟に「最後が急展開すぎる」「自分を過大評価しないで目標を立ててほしい」と言われたり、大森先生に色々な助言を講評で頂いたり、決して完成体の小説ではなかったと思う。それでも、「最後の」労作展で受賞でき、僕がこの夏休みを忘れることはないというのもまた確かである。「小説執筆」の楽しさも苦しさも味わった僕は、ひと回りもふた回りも成長し、何より「楽しんで」普通部生活の労作展にピリオドを打ったのだった。