労作展

2025年度労作展 受賞作品

書道科

マイ・パーフェクト

3年R.O.君

 書道を始めたのは小学二年生の頃だった。自分は字を書くのが得意だった。が、ひとつの壁にぶつかる。一年生の冬休み明け、登校すると教室前の廊下の壁にたくさんの書き初めが。自分の名前を探す。
「……ん、あった…。」
 そこには、真ん中に「賞」と書かれた銀色の花が飾られていた。あれ。金、どこ。だれ…
「Mちゃんすごいね~!! 金賞じゃん!」
Mは幼稚園からの幼馴染。負けた。ただただ悔しくて、残り五年間すべて勝つために、書道教室に通い始めたのだった。結果的にすべて勝つことは不可能だったけれども、四年生と六年生のときには金賞をもらうことができた。
 普通部にも一年生の時のみ書き初めがある。そのことは入学前から把握済みで、強力な幼馴染(ライバル)がいない今、自分のベストをつくせば賞をもらえるのではないかと考えていた。
 後日、HRで書き初めの受賞者の発表があった。無事に自分の名前が呼ばれた。安心した。その後、同じく賞をもらった友だちと、作品の展示されているギャラリーへ向かった。作品には、賞と書かれている。素直に嬉しかった。しかし、一周回ってみると、なにやらほかとは少し異なる賞が。それは部長賞というものだった。どうやら一番良い賞らしく、その賞が書かれていたのは、同じ部活の生徒だった。
「…M以外に負けた。」
唯一のライバルだと思っていたあいつ以外にも負けた。Mだけがライバルではない。それどころか、部長賞の彼はM以上に上手かもしれず、本当に魅惑的な字だった。自分は、井の中の蛙だったのだ。そんな現実を突きつけられた瞬間。この出来事が、僕のその後の二年間を決めることになる。
 二年の労作展。何をするかを決定する時期。迷わず、書道科を選択した。一年の労作展では他のものに挑戦したが、書き初めで自分の慢心を恥じた僕には、書道にもう一度真摯に取り組みたいという気持ちが芽生えていた。
 しかし、現実はなかなかうまくいかない。初めての半切。自分の納得いく字が書けない。そして、自分の計画性がないがゆえに、最低限を完成させることが限界だった。結果は未受賞。部長賞の彼は「賞」。いや、「特別展示」だった。彼の作品が気になった僕は、彼の二年A組まで足を運んだ。教室に入った瞬間、右側にひときわオーラを放つ一枚の紙が壁に飾られていた。
「あぁ、これは無理だ。」
 やはり彼の書は素晴らしかった。しかも、彼は練習枚数も多かった。力不足の上に、努力も足りない。認めざるを得なかった。
 三年生。労作展も最後のチャンスとなる年、あるひとつの出来事が僕を変える。三年生は選択授業と言って、いくつかの講座の中から自分の好きなものを選びそれを受けるというものがある。僕は迷わず「書❘SHO❘」を選んだ。そこで部長賞の彼と一緒になった。実は、彼とは同じ部活で三年間やってきた仲なので、彼の隣の席をいつも陣取り、彼が半紙と向き合っているところをひたすら眺めていた。するとある日、僕が書いているところを見ていた彼が、
「うまっ。」
と言った。驚いた。え、お前の方が全然書けるっしょ。と思ったが、内心はとにかく嬉しかった。彼の目に、僕の作品から魅力的に感じるものがある、ということ。いつも勝手に人と比べてばかりいた自分が馬鹿馬鹿しい。僕には僕の良いところがある。それは僕の自信になった。
 二年の労作展が終わったときから、三年時も書道科に取り組むということは決めていた。七月初旬から作業を開始。緊張しすぎないようにしていたからだろうか。いや、他人を気にせず、自分なりの最高の字を書くんだと気持ちを切り替えていたからかもしれない。最初から、良いと思える字を書き進めることができた。三年生になると部活の大会があったり作業できる時間が限られ、時間の方はかなりきつかったが、時には寝る間も惜しんで取り組み、なんとか期限ぎりぎりで完成。自分の中で「これで賞がもらえないのならしょうがない」と思えるところまでやりきった。自分の中での最高に仕上げる。それが今年の目標だった。目標は達成できた。
 労作展当日。
「O、賞やん! おめでと。」
教室係の友達に先に言われてしまった。はやる気持ちで教室内を進む。奥に、二枚の巨大な紙が教室の角に飾られている。僕の作品だ。そこには、「賞」と書かれた紙がぶら下がっていた。そして、朱色のペンマークが透けていた。特別展示だ。もちろんあの彼も今年も特別展示だった。彼にはまだまだ及ばない。だが、この上なく嬉しかった。