音楽科
演奏を作品とすること
3年M.H.君
労作展二日目、僕は目路はるかホールの上から、ホールを埋め尽くしていく人たちを眺めていた。もうすぐ三回目の音楽科のコンサートが始まる。
「ドイツ三大Bを弾く」という三年間通じてのテーマで取り組んできた労作展。一年目はベートーヴェン、二年目はブラームスの演奏を出品した。そして三回目となる今年は三大B最後のひとり、バッハに挑戦した。「音楽の父」と呼ばれるこの偉大な作曲家は、三年間の集大成としても申し分ない相手だった。その中で選んだのは、バッハのヴァイオリン曲の中でもっとも難しいといわれる、無伴奏ヴァイオリン作品だ。基本的にヴァイオリンの曲にはピアノ伴奏が付いているものなので、無伴奏というのは人前で演奏したことがない。そして今まではピアノ伴奏に助けられていた部分も多かったが、今年はそれがない・・・曲を決める前から不安しかなかった。しかし、この難しさに取り組むことこそが、労作展三年間の締めくくりにふさわしい! と自分に言い聞かせた。
そして二〇二四年一月、僕の労作は始まった。選んだ曲は無伴奏ヴァイオリンソナタ一番二楽章のフーガだ。各声部をくっきり浮かび上がらせるように弾くことや、ヴァイオリンの四弦でおこなわれる重音の嵐、しかも押さえる指も片手だけの単旋律を得意とする楽器に、わざと音を抜いたり無理を強いつつ展開されるこのフーガは、ヴァイオリンを弾く者にとって非常に難しい曲だ。譜読みからかなり苦労した。加えて去年の労作展で鎌田先生から「分析を詳しくすると、より一層演奏に反映できると思います」と講評をいただいてしまった。今年は難しそうだからと避けていた楽曲の分析が不可欠だった。まず関連のありそうな本を買ったり図書館で借りて、対位法の本や楽曲分析法の本を読んでみたが、やはり難しすぎてさっぱり理解できない。楽曲分析というとてつもなく大きな壁が僕に立ちはだかった。手探りでひとつづつ理解しながらすすめるこの作業に何度も心折れそうになりながらも、自分なりに学んだことで分析というものをすることにした。楽曲分析をすることで、バッハがこの曲に埋め込んだ工夫のほんの一部が見えたような気がした。そして分析してみたことで、たくさんの重音のなかでもこの音を響かせることが大事だな、などと考えながら練習するようになったし、やはり楽曲分析は自分の演奏をより良くするためにも必要な過程だったなと知ることができた。
そして労作展当日の朝、自分の作品を見に行くと銀色の「賞」の札が付いていた。しかも裏側に赤いペンマークの「特別展示」の証もあった。とても嬉しかった。でもまだ僕の労作は終わっていない。そう、音楽科の「労作」最後を締めくくるコンサートがあった。
目路はるかホールでリハーサルを終えたとき、昨年素晴らしい作品と演奏をしていた先輩が、コンサートが終わったときに「来年も頑張ってね。」と声をかけてくれたことを思い出した。今年はその先輩と同じくコンサートの最後に演奏させてもらえる。重圧と緊張感は半端なかったけれど、最後に恥じぬよう今できる精一杯の演奏しようと自分を奮い立たせ演奏に臨んだ。客観的に見たらまだまだ未熟ではあったと思うが、「やり切った!」自分の中でそう思える演奏をすることができた。そして後輩に「来年頑張ってね。」と伝えた。先輩からもらった音楽のバトンを次に渡すことができただろうか。
コンサートは強靭な精神力と集中力を必要とする。演奏を作品とするものにとって「労作」を最大限に表現することができる場だ。まわりをぐるりと囲まれて演奏するのは本当に緊張する。でもこのコンサートがあったからこそ、労作に真剣に取り組むことができ、成長することができたと思う。音楽科で出品する皆さんには、是非体験して欲しいと思う。
三年間こんなにヴァイオリンに向き合うことができたのも、労作展のお陰だ。これから先、ヴァイオリンを弾いていくうえで、きっとこの三年間の労作は僕の礎となることだろう。僕にこのような機会を与えてくれた労作展に心から感謝したい。