労作展

2024年度労作展 受賞作品

英語科

己との闘い

3年R.U.君

 夏休みの直前だった。部活に打ち込むことだけを考えていた自分に、賞なんてものがとれるとはちっとも思ってはいなかった。
 だが、期末を目前とした大きな大会の前、まさかの怪我。全治三か月、県大会出場への夢は崩れ落ち、夏休みの予定も全てキャンセル。そんな絶望感に浸り自分は何もできないと思っていた時、労作展というものを思い出した。やれるなんて思いもしない大きな作品を作るなんて言っちゃったんだっけ。もう一度何を書いたのやらと思い出すかのように制作の計画をみると、昔から父の影響を受けて聴いていたビリージョエルの“We Didn’t Start The Fire”という曲の分析/解説をすると、汚い字で書いてあった。
 この曲はただの曲ではないのは承知していた。1949年から1989年までに起こった主な歴史的出来事/人物をすべて羅列しただけの歌詞だからだ。その数なんと119。この曲を分析するだけで近現世界史ほぼすべてを英語で学ぶことができるため、これからの学習に役立つと思い選んだ。
 少し量と質に最初は圧倒され、今からでも別の科目に変えられる事はないだろうかとも思った。だが、やってやろうという気持ちの方が大きかった。去年東京中を走り回りやっとの思いで制作した英語のガイドブックが賞を取れなかったからだ。やるからには盛大にと思い、もう一度計画を立て直して挑むことにした。まず、すぐに歌詞の分析に入るのではなく、曲が分類されるロックというジャンルの歴史を学ぶことにした。「ロックの歴史」というタイトルの本を読みながら、おもしろい、なるほど、と思う事柄をすべて制作日誌に書き留める。それが終わったらいよいよ本題。大きな歴史のタイムラインを製作しようと思い描いた。2-3日で本は読み終わり、さあやるぞと言わんばかりに机に向かったその時、最初の課題に直面した。計画はしていたものの、一日4つの出来事を分析するというコツコツと貯めるようなものは、119という圧倒的な数を前にして砕け散った。残り約一か月。やばいと思い出したのはもうここからだったかもしれない。
 立ち上がりは最悪だった。自分の英語は発音やコミュニケーション能力はさておき、知識の伴うハイレベルな対話ができないため、歴史の解説なんて読もうとも思ったことはない。ウィキペディアは信ぴょう性にかけているため、膨大な量と慣れない語彙が羅列された歴史ウェブサイトで履歴がうめつくされていった。いいとこ取りをしようと最初だけを書こうとしても全体の文の構成がおろそかになり、結局時間を無駄にするだけだった。労作展をさぼりたいという誘惑、運動をしたいという怪我からのストレスに歯を食いしばって耐え、文献を読み漁り必要な情報を処理していった。慣れてきたら、家での作業では文献の信ぴょう性に欠ける可能性があるため、ブリタニカというものすごく分厚い14もの部数からなる、今でも更新されている歴史辞典を使うため図書室に朝早くから足を運び、隅でひたすら手探りで慣れない索引をめくり自分の目的としている情報を探した。慣れてからは楽しいという一言でしか表現できない。自分が知識をスポンジのように吸収しているのが感じ取れ、一日に3時間の制作は呼吸のようにできるという領域まで達した。すべての分析が終わったら好きなレイアウトで製本をした。タイムラインを作るには時間がなかったため、柔軟に対応する必要があった。怖いものはない、これで賞が取れないはずがない、そう思えるようになれたのだった。
 そして当日。係の担当よりも早く足を運び、施錠された教室の窓から見えたのは自分が正しい努力をしたという証の賞という文字の書かれた札だった。思わず来ていたクラスメートに抱き着き、涙も少し出てきた。自分がやったことは無意味ではなかった、というのが分かり晴れやかな気持ちとなった。あの喜びは忘れることはないだろうし、この経験を踏まえて自分は自分に勝てるという自信をもって勉強や部活に打ち込めることとなるであろう。