労作展

国語科

小説のスタートラインに立って

3年K.H.君

 やっと労作展が終わった。終わってしまった。大きな安堵のあとに、満足感と、特別賞に対する歓喜が、じわじわと湧き上がってきた。思えばこの三年生の、つまり集大成たる作品をよりよくしたもの、それはひとえに、「旅」であったように感じる。

 今夏、僕は小説の舞台、京都や、その周辺に立ち寄ることのできる機会を得た。時に印象に残ったのが、旧大津宮を神社化した近江神宮、京の東を護る東寺、さらに、南北朝代からの御所、京都御所、それぞれの、「庭」であった。

 枯山水であった。ただ白一色だのに、それに冷たさを感じることはなく、むしろ一種の温かさや、神聖ささえ感じられた。

 次に、奈良の平城宮跡に復元されたという朱雀門と大極殿を見に行った。

 それは、ひたすらに大きく見えた。そこに、他の殿舎は無く、ただ門が有り、向こうはだだっ広い野原だった。だからこそ、突如現れるその千三百年前と同じ形の建造物は、月の裏に突如現れる宇宙人タワーと同じくらいの衝撃を僕に与えた。

 朱雀門など、歴史マンガでも度々出てくるし、写真でも見たし、文献でも読んだ。それでも実物は、僕を高層タワーやスカイツリーを知らない古代人に為さしめた。こんな率直で素直な驚きが、感動が、今まであっただろうか。

 僕は二年生の時、見てもいぬこの門を只「何と長大で、何と豪壮か」と、美辞麗句で以て表現した。この時は、これで満足していた。しかし案の定、評は「具体的なイメージが全く浮かび上がって来ません」(佐藤先生)とのこと。たしかに、この朱塗りの瓦、曲がった塀、複雑な組木に、直径一米はあろうかという柱、三つの扉に数個の石段、その全てを「長大」「豪壮」の四文字に、どうして込められようか。つくづく、一年前から来ておきたかったと思った。

 帰って執筆に入った。

 枯山水の庭は、そういえば室町期からだったが、それでも使わずにはいられなかった。あれ以外に親王の宮を思いつかなかったし、何よりあの不思議な温かみが、当時の主人公にピッタリだったのだ。きっと平安期にも枯山水の原型みたいなものはあったろうから、これを使うことにした。

 そして、驚いたのが、情景描写が有り得ぬ程スムーズに進んだ。頭にインプットされている何万枚もの写真を、無数に組み合わせ、立体化する。それは箱庭を主人公たちが歩いている感覚だった。ちゃんと、そこには形が有り、象が有ったのだ。形があるからこそ、行くまでバラバラであった生糸が織られ、カラフルな錦となったのだ。

 思えば、僕は労作展を始めて三年、時代小説を書いてきたが、この錦を織ることができ、以て箱庭を為してから、ようやく「小説」が書けるようになったと思う。

 今までは、情景や情況の説明に筆をとられて、小説特有の心情表現や、それぞれの語に意味を込めるなど、到っていな

かったように思う。しかし今回のように、それを書く手間が一気に省かれたことで、ようやく「小説」が出来たのだと思う。

 一年の時は評には、「伏線をすぐに分からせてはいけない」など技巧面を、二年は「ものやひとの描写を丹念に」、三年は、「ひとの心情を台詞からにじみださせろ」とあり、ここからやはり、明らかに作品は「小説」と化していっている。

 以て思うに、小説を研鑽するにあたって必要なのは、

「作文からの脱却」

だ。技巧面で、読者を惹くものにしなければならない。次に、

「ものの描写の確実性」

である。舞台は整えられていなければならない。そして最後に、

「心情をちりばめる」

である。そこかしこの語句の中からその心情をさがしていけたら、読み易く、所謂「良い」ものとなろう。

 僕は一年の時大体の技巧を大森先生に習い、描写の重要性を佐藤先生に気付かされ、今夏の実地見聞でそれを学び、ようやく「小説」のスタートラインに立てたわけだ。

 僕はスタートラインに立たせて下さった先生方には、甚深に感謝している。