労作展

理科

苦悩の先に見えるもの

3年H.Y.君

「労作展」。苦労して作った作品達が展示される日。その裏には、様々な苦悩が渦巻いている。作品を一目見ただけでは伝わりきらない思いがそこには存在する。普通部生活と労作展は切っても切り離せないものだ。三年間普通部に通っていれば、三回訪れるからだ。それに、どんな気持ちで臨むかは各々のやる気次第だ。二○十七年九月二十四日。ようやく三回目の労作展を終えた僕は解放感を覚えると共に、寂しさを感じていた。この三年間、多くの時間、労作展と向き合ってきたからかもしれない。

 遡る事、四年前の労作展の日。当時、小学生の僕は、初めて普通部に訪れ、労作展を目の当たりにした。静まり返った教室の中を真剣な表情で観客が回る重苦しい雰囲気の中で、様々な作品と出会った。そして、その作品のレベルの高さに驚愕した。しかし、その時、僕の心の奥底で、自分の「好き」を追求し、とことん研究してみたいという闘争心の火が点いたのを今でも覚えている。その火は普通部一年生になった僕の心の中で再び燃え始めた。労作展シーズンが到来すると、僕は悩んだ。「自分はこの機会に何をし、何を知りたいのか」それを自問自答し続けた。そして、「心臓」という結論に辿り着いた。小学生の理科の実験でカエルの解剖を行う機会があった。ゆっくりと時間をかけて、丁寧に解剖していった。そこで、体内から取り出された心臓がトレイの上で拍動し続けているその様子に目を離せなくなった。この経験が、労作展ののテーマを決める際に蘇った。何故動いているんだということを考えれば考えるほど謎が深まっていった。まさに闘争心の火が炎へと変わった瞬間だった。

 労作展理科、この科目にはいくつかの必要条件がある。テーマについてそれを実現させるための実験、観察を主体としなければならない。そして、そこで得られた結果をまとめ、考えを述べる。これを全て手書きでレポートにするのだ。一年生の時、僕は釣り堀に協力をお願いし、魚を実験台として心臓の拍動の謎を探った。実験を行なっていく中で、心臓は体外に取り出すと、すぐに拍動が止まってしまうという問題に悩まされた。しかし、何度も実験を繰り返し、心臓の取り出し方を工夫したり、心臓にとって最適な保存溶液の種類や温度を調節したり、電気刺激を与えたりした。すると、色々な条件で心臓の拍動を観察でき、謎を解き明かすことに成功した。二年生では、一年生時の実験で得られた心臓は刺激伝導系の自動能により拍動し、イオンの変化によって発生した電気によって拍動のリズムが保たれているという結果をもとに、心臓の電気について心電計を用いて研究を行なった。もともと自分で心電計を作製する予定で部品集めから行なったが、上手く動作せず、仕方なく市販の心電計を用いて実験を行なった。そして何とか結果を得ることができた。三年生では、一・二年時の心臓は何故動くのかから視点を変えて心臓はいつから動き始めるのかというテーマで実験を進めた。鶏の胎仔を実験台として心臓の発生を研究した。実験では、卵から胎仔を取り出す作業がとても難しく、失敗を重ねた。しかし、実験の回数を重ね、試行錯誤を繰り返しているうちに解剖の技術が向上し、実験を成功させることができた。三年間、実験計画を綿密に練り、それでも失敗し、再び練り直し、成功するまで諦めず挑戦をやめなかった。

 僕の労作展三作品に付いている「賞」の札がそれを全て語っている。

 僕の労作展には多くの苦悩があった。しかし、僕は「賞」と共に、得たものがある。失敗しても諦めず続けること、悩み、考え、実行すること。僕は労作展を通して、研究の方法や知識は勿論、精神的な部分でも一段階成長することができたと思っている。だから、このような機会を与えたくれた先生方に感謝したい。そして、これからも普通部で労作展が続くことを願っている。