労作展

国語科

文明落語『プレイボール!』 / 労作展が教えてくれること

3年R. F.君

 今思い返してみると、この三年間の夏休みはずっと労作展に取り組んでいた気がする。それは言い過ぎかもしれない。しかし僕の頭の中で労作展が占めていた割合はそれだけ大きいという事だ。その分作り上げてきた三つの作品には僕の思いがこもっている。
 一年生の時、僕は何をしようか迷っていた。そこでふと小学校の頃から特に好きな二つの事、「宇宙」と「落語」をくっつけたらどうなるかと思い付き、宇宙を題材にした創作落語を作り、自分で演じることを決めた。そうして出来た作品が「宇宙落語 一億光年」だ。落語を創作すると言っても全ては手探りの状態で、何から始めていいのかわからなかったので、とにかく宇宙について調べ、古典落語を聴いて、寄席に行き、原稿を書く。図書室で借りた古典落語の本を読み、落語のオチには細かい種類があることなど、知れば知るほど落語の奥深さが見えてしまい、これは大変な事になったと焦りながら無我夢中で作った作品だった。
 そして二年目、制作したのは、住んでいる地元を舞台とした「街道落語 天保太鼓」だ。二年目になって、僕は一年目に書き溜めた制作日誌がこんなにも役立つ事に驚いた。制作日誌の大切さに気付いたのは二年目になってからだった。それから作業に迷った時や、考えに詰まった時には必ず制作日誌を読み返すようになった。
 無我夢中の一年目とは違い、調べれば調べるほど入れたいネタのイメージが浮かんだ。夏休みに参加したオーストラリアコルベ交流をきっかけに、世界の大きさも伝えたくなり、スケールが大きくなりすぎてしまった事で話がまとまらず、方向転換を余儀なくされるという苦しい経験も味わった。さらにコルベの生徒来日の際には、小学生の時、特技発表で落語を披露して以来、久しぶりにたくさんの人の前で噺をする機会を頂き、僕は観てくれる人の表情や笑い声を目の当たりにして、自分が楽しいのはもちろん、観てくれる人が楽しめる落語が大切なのだと改めて感じた。二年目の落語は色々な機会や出会いによって出来た作品だった。
 そして三年目、最後の年に僕は噺の長さを倍にする計画を立てた。大ネタを作る事が僕の目標になったからだ。だがなかなか良いアイデアが浮かばない日が何日も続いた。二年目で自分が持っていた力を全て出し切ってしまったのかもしれないとも思った。
 しかしもう一度、好きな事、知りたい事は何だろうと考え、上野へ取材に行った。そこで出会ったのは、日本の文明開化を支えた品々、そしてそれを見ようと集まる人々の姿だ。それらを見てこれを落語にしたいと感じ、制作したのが、「文明落語 プレイボール!」だ。しかし上野にはたくさんの歴史、文化が入り混じっている。この中から自分が本当に伝えたいことを絞るのはとても大変な作業だった。またどのようにストーリーを組み立てればいいのかわからなくなったこともあった。だがそんな時もこれまで二年間積み上げて来たものがとても参考になり、自信にもつながった。そして何度も行き詰まりながら書き直しを重ね、ついに自分の力を出し切った作品を作る事ができた。そして幸運なことに三年連続特別展示として出品していただく事ができた。
 三年間の取り組みに通じるのは、様々な「出会い」がどれだけ作品に影響をもたらすかという事だ。僕も三年間で何度もこの出会いを体験してきた。一年生の時、会議室の奥から引っ張り出してもらった本を三年間参考にしたり、色々な方々から話を聞いたりして、これまでの構想にはなかったネタを見つけ、それがストーリーの中心へと移り変わっていった事もあった。もちろんこれは待っていればやって来てくれるものではない。追い求めていく先についてくるものだ。考えに考えを重ねて構想を練った先に来た出会いを、どれだけ上手に生かせるか。これが労作する上でとても大切な事だと思う。考え、調べ、課題を追求した先に出会いは待っている。これを感じる事ができたのも、三年間労作展を頑張ってきたおかげだ。この「出会い」の感覚を忘れずに、これからも生かしていこうと思う。