労作展

音楽科

ムリルグスキー 友情の組曲 ハルトマンの思い出 / 音楽を追い求めて

3年H. S. 君

 「音楽とは何か。」
 このすごく単純な疑問は、僕を三年間労作展で音楽科を研究し続けるのに十分なものだった。僕は一年生、二年生で、「自分の好きな音楽」というものを演奏してきた。「この曲好きだな」と思える曲を難易度など気にせず必死になって練習し、労作展の研究としてきた。しかし、結局、「自分の好きな音楽」というものが何なのか、分からず終いだった。ただ「すごい」とか「壮大だ」とか、そんな風にしか捉えることができなかった。そして、今になって考えてみると、それは音楽というものを少しも理解できていなかったからだと思う。モーツァルト曰く、音楽は「あらゆる知恵や哲学よりも高度な啓示である」らしいのだが、僕にはさっぱり分からなかった。辞書によると、音楽とは「音による芸術。音の長短・高低・強弱・音色などを組み合わせて肉声や楽器で演奏する。」(『大辞林』)などと書かれている。とても納得のいく結果だった。しかし、「音楽」という言葉には、もっと深い意味があるのではないかと感じていた。そして、それが何なのかが知りたかった。
 二年生になる頃、僕は学外のジュニアオーケストラにトロンボーンパートで入団した。この頃、僕の世界観が変わり始めた。このオーケストラに入り、初めてのtutti(合奏)のとき、僕は大変感銘を受けた。『やばい。』自分の演奏が下手という意味ではなく、自分自身がオーケストラの中にいるにも関わらず、オーケストラの演奏に感動させられていた。ただ自分の楽器が音を鳴らしているのではなく、自分自身が音として震えている感覚がした。『やばかった。』そして、純粋にこれをピアノで再現し、この感動を誰かと共有できないかと思った。そして二年生の労作展で、ベートーヴェンの第九のピアノソロ編曲を弾くことに決め、少しでもオーケストラに近い演奏をしたいと考えた。しかし、いくら追求しても、無念にもピアノでそれを完全に再現することはできなかった。資料の中で、「ピアノは唯一オーケストラを再現できる楽器である」と言っていたリストが、のちにピアノでオーケストラを再現することに限界があると感じていたという記述を見つけ、落胆したりもした。でも、僕はあきらめなかった。あの感覚を他人と共有したいという一心で、「音楽」を我武者羅に追い続けた。
 オーケストラに入ってだいぶ慣れてきた頃、突然何かコツがつかめた気がした。トロンボーンの音質が急に変わり、それと同時に音楽の中に『なにか』を聞くことができた気がした。それから、僕の音楽は変わり始めた。うまく表現できないのだが、言葉と似たようなものを「聴いた」気がした。僕は音楽を使って感情を伝えることができると気付いたのだ。
 三年生になり音楽部の副部長になると、音楽というものともっと向き合う時間が増えた。僕は、無理にオーケストラを追い求めるのではなく、音楽に込める思いを人と共感すればいいと考えた。今年の労作展では、ムソルグスキー作曲「展覧会の絵」に挑戦した。この曲は、親友への追悼の音楽として作られたピアノ組曲で、オーケストラでは表現できない深みのある、ムソルグスキーの思いが詰まった曲である。今回、この曲の力を借りて、実践した。「音楽とは何か。」今の僕なら答えることが出来る。音楽は「単なる技術ではなく、自分の精神を伝える道具、そしてそれは言葉と同等なのだ」と思っている。そしてその「言葉」を自在に操ることができれば、音楽はもっと広がっていくのではないかと確信している。
 僕は、労作展を通して「音楽」というものを少しは知ることができた気がする。僕は経験不足で、人を感動させられるほどの精神、人格を持ち合わせていない。しかし、この三年間で少しは成長することができたと思う。振り返ってみると毎年気持ちが先行し、無謀な挑戦ばかりで、僕には到底弾きこなせる曲ではなかったと思う。しかし、その度に大切なことに気付き、僕なりには満足している。最後に、僕に労作展覧会という体験をさせてくださった普通部、そして温かく見守り、理解してくださった先生方に心から感謝しています。