労作展

美術科

博物図譜~昆虫編~」 / 僕の労作展

3年H. K.君

 右手が痙れんしている。目の焦点が合わない。全身からじっとりとした汗がにじみ出てくる。今日のヘラクレスオオカブトとの戦いも先が見えない激しい戦いが続いている。
 僕は三年生の労作展で一、二年に引き続き「博物図譜」を制作することに迷いはなかった。僕の「博物図譜」とは、紙一枚に生物を一種類、とても細い黒いペンで線と点だけで描いたものを、何枚も描き、それを集めて綴じて図鑑のようにしたものだ。一年生の時はフクロウやライオンなどの「鳥獣編」、二年生ではカニやウツボなどの「水生生物編」に取り組んだので三年目は何編にしようかと悩んでいた。
 そんなある日、僕の愛読書「北斎漫画」をパラパラとめくっていた時に「鳥獣蟲魚」という文字に目が留まった。北斎は僕が今まで描いた鳥や獣や魚と共に身の回りにいる多くの虫も描いている。虫かぁ。そうだ。これだ、と思った。そして僕の最後の労作展の博物図譜は「昆虫編」に決まったのだ。
 普通部に入学する前後に観た美術館で「J・ヨンストン」のリアルな動物の銅版画に感動した僕はスケッチでもなくイラストでもない、本物を見て写実的にまた精密に描くことに興味を持った。自分なりの表現の仕方を模索している時に、理科Ⅱのフィールドノートの制作で「物を写実的に紙におとす」という先生の言葉に触発され、線と点だけを使って自分なりの描き方を追求していった。
 僕の「博物図譜」のこだわりで、誇れることの一つは、実際に自分の目で見た生物を描くということだ。今回は、三つの昆虫館で観察したのに加え、旅行先でも昆虫を採集し、じっくりと観察した。昆虫は小さく、じっと観察していると必ず目が寄り目になった。頭を振って、何度も目の焦点を直し観察を続けた。観察した虫の形を正確に紙に落とし、3Dのように浮き上がって見えるように線と点を置いていく。少しでも形が傾いていたり、濃淡が違っていたりすると、何度も線を引き直したり、莫大な点を描き増やしたり、自分が納得するまで描き続ける。そうこうする間にあっという間に日が暮れてしまう。それを懲りずに何十匹もの虫を描き続けるのだから、もう頭が爆発しそうだった。特に夏休みは毎日のように部会の練習があり、帰宅してからその疲れと葛藤しながら描いていた。大好きだった絵を描くことが嫌いになるのではないかと思った。しかし、描けば描くほどこだわりは強くなり、納得は遠くなっていった。常に「もっと」「もっと」と自分の中のゴールにたどり着くまで必死で走り続けた。「もうここらへんでいいや」とは一枚も思えなかった。はっきり言うと僕は夏休み、労作展制作と部会と生きることに必要なことしかやっていない。それほど、僕にとっての労作展は向き合って戦いたい相手だった。全てが完成したのは労作展提出日の前日。今年もぎりぎりまで続いた戦いだった。
 労作展当日、僕は努力の分だけ緊張していた。まだ右手にはペンを握っている感触が残っている。あれだけやったのだから大丈夫だと自分に言い聞かせてみても、緊張は収まらなかった。自分の作品を正面から見ることはできなかった。とても怖かったのだ。そうして横目でちらりと見てみると、欲しかった欲しかった賞のラベルがついていた。裏をめくると赤いペンマーク。三年連続特別展示の快挙だ。煮えたぎる血が全身をかけめぐった。うれしくて胸が苦しくなった。「よく頑張りました。」と言ってくれているような賞のラベルが誇らしかった。そして何よりも安心した。
 ついに、三年間の労作展制作に幕を閉じることとなった。三年間の労作展制作を振り返り思うことは、新たな挑戦を見つけ、挑み、どんなことがあってもそこから逃げない粘り強さと、努力して達成できた時の喜びをこれでもか、というぐらい体に刻み続けた日々であったなぁということだ。中学生というこの多感な時期に、このような経験を得たことは、きっと僕の人生の中で大きく強い力となるだろう。朝から晩まで線を引き、点を打ち続けた右手の痙れんと、汗で波打ってしまった一枚一枚の画用紙が、何よりもそれを証明してくれている。