労作展

保健体育科

三振を奪う / 終わりなき戦い

3年K. U.君

 僕はプレッシャーと戦っていた。
 一年生・二年生と保健体育科で連続受賞していたので、決まりはないが三年連続で保健体育科での賞を取らなければいけない…という謎の使命感に駆られていた。
 三年生目前の三月頃からはそろそろ何か着手しなければならないと思い、春の選抜高校野球も念のためデータを集めておいた。しかし、テーマは一向に決まらない。一年生の時も二年生の時も野球についてのテーマの論文を書いていたため、今年も野球についてのテーマで、そしてできるだけ自分の役に立つものにしようと考えてはいたのだが、結局、計画表の提出に合わせたタイミングでテーマを決定した。一番知りたかった三振についてである。
 三年目の受賞を認めてもらうためには、一・二年生のころと同じような作品ではいけないような気がしていた。どうしたら三振を奪えるかについては、答えが一つに絞られず、また様々な観点から論じることが出来る。そして、僕は野球部でピッチャーをしているので、自分にとってもかなり役立つデータ・論文になると考えた。
 さて、セ・パ交流戦を材料に決め、三振のデータの集計を始めてみると、思っていたよりも集計する項目が多く、作業が計画表の予定よりもかなり遅れてしまった。また、そのデータを記入用紙に書き写すのは淡白で面白みが無く、時間のかかる作業だったので苦しかった。その作業を終わらせれば(その作業と比べたときの話だが)楽しいデータの分析や考察の時間がやってくるのだと自分を奮い立たせ、どうにかその作業を終わらせた。しかし、データの分析や考察も想像以上の量で、データの表を見ながらパソコンに打ち込む作業も思い描いていたよりはるかに面白くなかったため、何のために記入用紙に書き写すのを頑張ったのかがわからなくなるほどであった。莫大な量のデータをわけのわからないままやっとの思いで紐解いていき、印刷し、作品が仕上がったのは論文類提出日の前日の夜であった。これで大丈夫だろうか…、不安が付きまとったままの提出だった。
 労作展初日、土曜日の朝、結果が気になり、開場よりも一時間くらい前に学校に着いてしまった。だから、教室の鍵はまだ開いておらず、教室の鍵が開くのを待つ自分はかなり落ち着きのない状態であったと思う。鍵が開くまでの時間がとても長く感じられた。
 教室管理係の友達が鍵を開けたと同時に教室にダッシュで駆け込み、自分の作品を探した。必死で書き上げたはずの論文はとても地味で、自分でも探すのに手間取ってしまった。やっとのことで(と言っても数秒の話だが)自分の作品を見つけると、そこには賞の札があり、裏には赤いペンマークの判子が押されていた。そのとき僕は「この夏休みに労作展を頑張ってきてよかった」という思いが込み上げてきた。また三年連続で受賞できたことに大きな喜びを感じたのである。
 今、思い出してみると普通部での三回あった夏休みはほとんど労作展に費やしたようなものだ。朝から晩まで、晴れの日も雨の日も、部会から帰った後だって、ずっと労作展の作業でテレビの前かパソコンの前にいた気がする。
 それでもこうして自分がやってきたことを先生方に評価していただき、少しでも労作展に入場してくださった方々の目に触れ、学校のみんなに労作展カードで励みの言葉をもらったことは、今後の励みになると思う。
 しかし、喜んでばかりもいられない。労作展三回分のデータ・論文は、これからの野球に生かしていかなければならないと思う。新たなプレッシャーとの戦いはもう始まっている。