労作展

2018年度労作展 受賞作品

美術科

労作展という問いかけ

3年D.H.君

 僕の労作展の始まりは、小学校四年生だった。小学四年生から六年生まで、三年間毎年労作展を見てきた。一から三年生のすべての部屋に入り、たくさんの作品に触れてきた。その中で、美術の作品、得に絵画をキャンバスいっぱいに大きく描いている作品が、心に残った。ただ大きいだけでなく、細かい部分も精密に描かれているのが素晴しかった。離れて見ても近くで見ても、感動的な絵画。僕もそんな絵画を描きたいと思ったのが始まりだった。

 一年目の題材を考えている時に、キャンバスに大きくかつ細かく描けるのは生き物だと思った。その中でも、とても身近なもの「鳥」を三年間を通して描き続けようと決めたのだ。

 一年目は、近所の博物館にいる「赤色野鶏」という鶏を選び、ちょうどその夏に、家族旅行で行った屋久島の、「寄生木」と一緒に描き上げた。羽は、羽一枚一枚という単位ではなく、羽一枚の中にある、羽軸や、羽枝まで描いた。とても時間がかかったが、細かく描くことは、僕にとって苦ではなく、達成感があった。

 二年目は、さらなることに挑戦したくて水を描いてみようと思った。水とのバランスが良く出る「紅鶴」を選び、水に浮ぶ「蓮」の葉と花と一緒に描き上げた。羽の一枚一枚だけでなく、羽軸や羽枝まで描くのは当然のことでそれに加えて水の表現をした。大きなステンレスのたらいに水を張り、石を投げたり、棒でつついたり、揺らしたりして、水の波紋を自らつくり出し、何度も練習し、理想的な形を表現した。羽と羽毛は、セラミックバルーンという砂を混ぜて立体的に表した。水の表現も、紅鶴の表現もうまくいった。がしかし、紅鶴の首を、細かく描きすぎたので、畳っぽくなってしまった。

 そして迎えた三年目。三年目としてふさわしいように、「鳥」の王様的存在の「孔雀」を選び、春でも赤色になるベニシダレを一緒に描き上げた。「孔雀」は、春の間の朝にしか羽を広げない。だから、三月のうちに新幹線で静岡の、伊豆シャボテン公園まで行き、開園時間と同時に、「孔雀」のもとへと向かった。エサを購入し、うまく誘導し羽を広げるその瞬間をとらえた。羽を広げた姿は、迫力がすごくて、さらに見る角度によって色が変化する様子はまさにオーロラのようだった。それを表現するために、三年間で最も大きいキャンバスを使用し、絵の具の発色にもこだわった。具体的には、背景にボンドを利用し、ツヤツヤにさせた。一〇〇号のキャンバスにボンドを塗るのは決して容易なことではなく、混ぜるのにしゃもじ一本を犠牲にし、塗るのにもしゃもじを一本犠牲にした。乾くのは、三日もかかり、その間僕は自分の部屋を絵にとられていたので、数日はリビングで寝ていた。羽は、一枚一枚という単位ではなく、羽軸、羽枝という単位でもなく、小羽枝という単位の羽を描いた。

 三年間を通して、インターネットなどを使わず、実際に見にいったもののみを表現するのをやり抜いた。実際に見に行き目だけでなく、手、鼻、耳で感じたことを表現できたことが、三年連続賞につながったのだと思う。

 そしてやっと、三年目が終わって労作展について理解した気がする。なぜ九十年も続いているのか。それは、普通部生に時間があるからだ。受験勉強をする必要がない普通部生は圧倒的に時間がある。僕は、部活、トレセンがあって大変ではあったが、それでも時間がある。この時間があるということを、「暇」と思うか、「チャンス」と思うかはその人次第である。その「暇」か「チャンス」かと思わせる選択をさせるのが労作展である。それを僕たちは三度も問いかけられていて、普通部は問いかけてきたのだ。だから労作展は続いている。でも僕はこのことに終わってから気がついた。運動や勉強以外で、他のことに時間をかけるのは重要視されにくい。それに時間をかけることは、その人の人生の幅が広がるとは限らないが、僕は、「鳥」を描くという分野では、自信がついたと思う。

 一般的な考えでは勉強と運動でその人が決まるといっても過言ではない。でも、慶應は、僕たちに問いかけてくるくらい、勉強と部活以外を大切にしていると思う。この労作展の問いかけについて三年目にやっと答えられてよかった。