2017年度 目路はるか教室

3Gコース

「わからないこと」を大切に

昭和57(1982)年卒業慶應義塾大学 理工学部教授

井関 裕靖 氏(いぜき ひろやす)

 皆さんにもお話ししたように、普通部での3年間は私の人生における最高の3年間だったと私は思っています。短い時間ではありましたが、普通部生の皆さんとお話しできたのは、私にとってとても楽しい体験でした。皆さんも、私と同じように、普通部生として素敵な時間を過ごしてくれていることが感じられたからです。

 「目路はるか教室」の講師の依頼を頂いたときには、歳をとったなりに、多少は皆さんにお伝えできることもあるのではないかと思い、深く考えずにお引き受けしてしまいました。数学に惹かれてはいたものの、中学入試の頃から算数・数学の成績が思わしくなく、数学に苦手意識さえもっている普通部生だった私が数学者になったのだから、皆さんを勇気付けるようなお話しが少しくらいはできるだろう、と今から思えば少々思い上がっていたのです。皆さんから頂いた自己紹介と質問の作文を楽しく読みながら、私自身がお話しするつもりだった「数学が苦手だった私がなぜ数学者になったのか」を考え始めたのですが、実は、「目路はるか教室」の開催日が近づいてくるにつれて不安は増す一方でした。幾ら頭を振ってみても、叩いてみても、皆さんに聞いて頂くだけの価値のある説得力のある説明や、教訓に満ちたエピソードが出てくる気配などまるでなかったのです。

 歴史に名を残す天才数学者のようには素晴らしいアイディアを思いつくこともできず、(普通部生の頃から相も変わらず)すぐ計算を間違える私が、それでも何とかここまで数学者としての道を歩んで来られたのは、わからないことをわからないからと放り出さずに大事に抱え、わかるまで一生懸命考えることを続けて来られたからだと思います。誰にでもすぐにわかってしまうこと、あるいは簡単に出してしまった結論にはそれほど大きな価値はありません。あきらめずに一生懸命考え続け、他の人には到達できない理解に到達したとき、その成果はようやく価値のあるものとなります。あきらめずに考え続けるとは、その人の個性や人格をかけて「わからないこと」に立ち向かうことを意味します。数学の研究成果など無機質なもの、と思われるかも知れませんが、このような努力の結果として得られた研究成果には、その人の匂いがしっかりと染み付いています。何千年にも渡るそのような成果の集積として構築された数学という学問は、私には、無機質とは程遠い、血の通ったとても美しいものに見えるのです。

 研究のプロセスは少々辛いものではありますが、成果が得られたときの喜び、達成感には他には代え難いものがあります。振り返ってみると、このような作業をそれほど抵抗なく受け入れることができたのは、普通部生の頃の労作展の経験のおかげだと思います。うまくいかないことがあっても(だいたいいつもうまくいかないのですが)めげずにこれまで続けて来られたのは、私が少々鈍感だったこと、周囲の人の励ましと支えがあってのことです。普通部生の皆さんもご自身の興味を広くもち、「わからないことをわからないからといって放り出さずに大事に抱え、わかるまで一生懸命考え続けられる」ような興味の対象をぜひ見つけて下さい。それは、必ずしも数学などの学問である必要はないと思います。社会のどのような道に進んでも、このような姿勢を貫くことによってしか到達できない高みがあるのではないでしょうか。そして、そのような道を見つけてその高みに到達することの喜びを、ぜひ味わってほしいと思います。私の拙い話を通して、そのようなことの楽しさが少しでも伝わったとしたら、私にとって望外の喜びです。

 皆さんの将来の活躍を楽しみにしています。

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