2019年度 目路はるか教室

3Dコース

銀座の街づくり

昭和54(1979)年卒業株式会社 みつわ

三輪 晃久 氏(みわ てるひさ)

 みつわビル8Fのサロンに普通部生25名が所狭しと着席したのを見計らって、私は開口一番「みなさん、こんにちは!」と話しを始めました。少し反応が良くなかったので再度「こんにちは!」と言うと、ようやく元気に「こんにちは!」と返ってきました。

 やはり人のつながりが銀座の街を作り上げてきたのですから、私が今までを振返ってみても、まず挨拶ができないとダメだと思います。そこからご縁ができて、ひいては商売につながって行ったのだと普通部生に伝えたかったのです。

 今回は「銀座の街づくり」と題しまして、どのように銀座が発展してきたのか、今どのように変革していくのかを肌身で感じてもらえればと思いました。

 第一部は銀座の歴史が紹介されているビデオを見ていただきました。

 銀座が銀貨の鋳造所があったことから始まり、老舗の鳩居堂、和光、歌舞伎座、壹番館洋服店、手前味噌になりますが宝石専門店ミワなどが紹介されています。慶應出身の経営者の方々が多いことがわかるのですが、慶應は昔から銀座と縁が深いようです。

 またビデオの中で大旦那さんが「運は天下が授けてくれるもの、縁は自分で作るもの」という趣旨の話をされていましたが、まさに「銀座イムズ」にあふれている言葉だと思います。

 第二部は銀座の街を歩きながら、昔、現在、未来へ向けた銀座を勉強してもらいました。

 まずは「銀座みゆき通り」です。名前の由来は、明治天皇が皇居から築地にあった海軍兵学校へ行幸(みゆき)の祭、この通りを行幸路とされたため、いつしか御幸(みゆき)通りとなりました。また街燈の一番上には天皇の象徴としての鳳凰が祭られています。通りは皇居からの「気」に守られており、街路樹の「なんじゃもんじゃの木」は台風が来ても折れるようなことはありません。

 当日の「銀ブラ」のルートを書き留めておきます。限られたエリアになりましたが、新旧が混合している銀座を歩いてもらいました。20年、30年後にこの記録を見て「ああ、あそこを歩いていたのか」などと思いだしていただければ幸いです。

 宝石専門店ミワ→シャネル→壹番館洋服店→銀座みゆき館→泰明小学校→宝塚劇場→帝国ホテル→銀座ウエスト→ギャルリーためなが→交詢社→バーニーズニューヨーク→豊岩稲荷→金春湯→カフェーパウリスタ→吉兆→金田中→新橋演舞場→松竹→歌舞伎座→銀座三越→和光→鳩居堂→GINZA SIX→ユニクロなど

 「銀ブラ」のいわれは諸説ありますが「慶大生」が「銀座でブラジルコーヒーを飲んだ」とされる「カフェーパウリスタ」の前であったり、料亭「金田中」の若女将さんが挨拶に出てきていただいたときなど、みんな一所懸命に話を聞いてました。

 最後は交詢社を見学しました。目路はるか教室の趣旨をご理解いただき特別に受け入れていただきました。ビル自体は建替えていますが、中の造りの大部分は昔の資材を組入れ、豪華な建築様式のままサロンや食堂があります。

 会議室では、普通部OBでもある交詢社の部長さんに講義を受けました。

 「交詢社」は明治初期の頃、当時まだ「社交」という言葉が十分に使われていなかった時代に、福澤諭吉先生の主唱により銀座の地に創られた日本最古の社交機関とのことです。

 学校教育を終えて社会人となった人たちか、めざましく変化する実社会に対応するため、各人が互いの「知識を交換し、世務を諮詢する」ことを目的に明治13年(1880年)に設けられたとの沿革をお教えいただきました。なお創設当初から社員(メンバーのこと)は1,800名にも上り、公益を目的とした財団法人として事業展開をされ、平成23年(2011年)に公益法人制度改革に沿い一般社団法人に移行されています。

 普通部生の諸君、銀座の街はいかがでしたか?

 皆さんが社会人になって、また銀座でお会いすることを楽しみにしています!

 

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