2018年度 目路はるか教室

1Hコース

異端を懼れず 〜医学への福澤先生の想い〜

昭和58(1983)年卒業慶應義塾大学 医学部産婦人科学教室 准教授

阪埜 浩司 氏(ばんの こうじ)

 さる11月9日、小雨のなか24名の普通部1年生が東京信濃町の慶應義塾大学病院に来てくれました。1983年C組を卒業して35年目のこの年に、普通部の新入生24人に先輩の一人としてこの授業の講師に選んで頂いて光栄に思います。

〜私が伝えたかった事〜

 この授業の普通部の位置付けと重要性は、普通部卒業生として、息子の普通部父兄として知っていました。ただ担当学年が、わずか半年ちょっと前まで小学生という普通部1年生の24人でしたので、その内容についてはかなり迷いました。結局、医学や産婦人科学の研究の難しい話というよりは、あまりなじみのない信濃町キャンパス、慶應義塾大学医学部という所、そして医療者という仕事において大切な事をまず伝えたいと想い準備をしてきました。慶應義塾大学医学部は昨年創立100年を迎えました。これは全国の医学部の中では実はかなり歴史が浅い医学部です。しかし、我々が、社会の多くの方々からの信頼を得ているのは、先人のたゆまぬ努力と根底にある慶應義塾の目指す医学のスピリットにあると私は感じています。そのなかで、福澤先生が文明論の概略で述べられた、「昔の異端妄説は現在では常識になり、昨日の奇説も今日には常談になる」という一説に焦点をあてて、医学の世界でいつの世も変わらない普遍のことと、そして日々目まぐるしく進歩進化するものを体感してもらうための講義とハンズオンにより手術器具を用いた模擬オペを普通部生には体験してもらいました。

 福澤先生が最初に勉学にいそしんだ緒方洪庵の適塾には、ベルリン大学のフーフェランド教授が記した「医師の義務」を医戒12ヶ条に緒方洪庵が訳した「扶氏医戒之略」という言葉があります。さらに福澤先生が後の初代医学部長北里柴三郎博士に贈った七言絶句の「贈医」という漢詩があります。これは医学部図書館2階の会議室にひっそりと飾ってあります。医戒12ヶ条には、「医師は人のために生活をして、ただ自分を捨てて人を救うことのみ願うべきである」、「患者を診るときには身分などで差別せず、決して道具のように扱ってはならない」、「日々医学の勉強を怠ることなく、自分の言行も注意して患者に信頼されなくてはならない」といった現在の医師の倫理綱領とほぼ同じ内容が述べられています。

 一方実物をみてもらった「贈医」において福澤先生は、「医師を言うをやめよ、自然の臣なりと」とおっしゃっています。当時、感染症や癌に対する有効な治療法もない時代、病は自然の摂理で人類が到底かなわないと思われていた時代に、「医師よ自然の家来に成り下がるのではなく、知識と技術を追い求め、常に修行をしてゆくのだ」という福澤先生の強烈なメッセージが今の慶應医学の源流であることを感じて頂きたいと想いお見せしました。

 後半のハンズオンでは、縫合糸、手術器具、尖刀、電気メス、超音波メス、腹腔鏡ドライボックス、すべて本物に触れて、実物を操作してもらいました。現在、手術室では尖刀より電気メスが主流でありますが、実は尖刀のほうが電気メスより抵抗なく切開ができて、創部の熱変性なくきれいであることを感じてくれたと想います。超音波メスも腹腔鏡手術も進化した機器である一方、実はかなり操作が難しく、いまだ進化の途中で課題があるものであると実感できたと想います。

 「学問のすすめ」でも「真の世界に偽計多し」といわれるように、科学である医療の世界はいまだ発展途上です。今日の常識は数年後に多くは妄説となっているかもしれません。今日参加してくれた若き普通部生には、普通部において世の中で通用する普遍的な学問を体得し、将来は「異端を懼れぬ」先導者になってもらいたいと希望しています。

 「目路はるか教室」を担当させて頂き、久しぶりに35年前の普通部の教室、生活、教員の方々に想いをはせました。この教室は普通部生のみならず、我々卒業生にとっても普通部という学舎の存在の大きさを感じさせてくれました。この場をおかりして教員の方々、ご推薦頂いた委員の方々に感謝いたします。

 私もまだ、50歳です。これからも「希望は高く、目路ははるけく」という生き方を私自身も実践せねばならないと痛感しております。

 

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