普通部長からのメッセージ
あれは40年以上も前の夏の暑い日、昼下がりのことでした。薄目を開けての午睡の儀式を終えたあと、麦わら帽子をかぶらされていつものように遊びに出たのです。陽射しの強さは光と影を明確に分けているし、刻一刻と姿をかえる雲のむこうには紺碧の空が広がっていました。耳が痛くなるくらいの蝉時雨の中を近くの神社へと向かいました。当時は都会のど真ん中でも神社には大抵森があり、沢山の昆虫が暮らしていました。社の脇の大木に、今地上に出たばかりの蝉の幼虫がのそりのそりと這い上がって行くのを見つけました。数年を土の中で過ごし地上にはほんの一週間、これからの晴れ舞台に向けての羽化の瞬間をみてやろうと眼を凝らしていると、大きな蟻が数匹ちょっかいを出してきます。幼虫は力強い前肢でおかまいなく上へ上へと行くのですが、肢を止めると蟻たちは一斉に襲いかかるようになりました。脱皮する準備ができない目の前の蝉を、軽い気持ちから助けてやろうと思い、幼虫の少し前に手をさしのべ、指の上に乗せたのですが、その段になって困りました。どの木に移してやればよいのか。数分迷った挙句に若い枝を見つけて蝉を近づけました。幼虫は指から小枝へと移り何とかつかまったものの、そのあと動くことはありませんでした。結局羽化することもなかったのです。思い至らず、救うばかりか殺してしまいました。何がいけなかったのかわからず、午後になって這い出す幼虫の方がおかしい、と勝手に決めつけやがて忘れてしまいました。後年、大先輩から渓流のヤマメ釣りの伝授を受けた際、もし釣り上げた魚を放流するなら(当時ヤマメは養殖できないとされ珍重されていたが)決して手に持ってはいけない、ヤマメは全身大火傷だと伺ったとき、にわかにあののそりのそりの幼虫が白い雲と共に思い出され、数分間を手の上に乗せていた、しまった、と自らの無知を知ったのです。思いも寄りませんでした。
昨秋のその日は、大型台風が接近しており予想進路に関東地方が含まれていてニュース番組がひどく騒がしかったと記憶しています。普通部は早々に翌日の指示を出し、六時間目の担任の時間終了後は即下校としました。指示連絡とは「上陸したとて各自の判断、無理はせず」でした。このようなとき組織というものは、無難に責任を負うことのない対処方法を決めるものです。しかし我校は今回について予測可能な事態と捉え、教育が実践に直結する貴重な場面と判断しました。止まって黙って見送るのではなく動いて解決する前向きな姿勢を選びました。結果、各ご家庭それぞれの判断の中、閉じない学校で粛々と授業があり、何より、台風一過の穏やかな午後を校内で楽しんだ多くの生徒がいて、夕方の街中を帰途につく学生は普通部生だけでした。
しかし、実は、今思い起こしてもぞっとする、危うく大惨事になりかねないことが目の前で起こったのです。早朝から雨は上がっていましたが、強い風が吹き荒れるなか9時をまわって遅れてきた者を校門で待ち受けていたとき、ドスンと鈍くも強い音がして桜の太い枝が落下しました。もしその落下が数秒早ければ、生徒の頭部を直撃していたはずです。門付近は桜並木になっていて古木の枝が随所に張り出しています。その一部にキノコが生えていることはずいぶん前から承知しており、遠目にも分かっていたのです。思えば、毎日毎日その下を700名の普通部生が行き交っていた。思いが寄りませんでした。キノコが生えている枝とは死んだ枝、強風による落下の可能性は確かに予見できました。しかし、思いが至らなかった。
人は思いもよらず他人様を、事物を、傷つけてしまうことがあります。思いがけず失礼してしまうことがあります。「思いが至らず」とは、自らの無知の結果を自らの限界を半ば認めつつ悪意がないことだけは理解してほしい、と訴えている様です。どうすれば予見が利くようになるのでしょう。それは何度も失敗を繰返しその何度目かが確かに心に届いたときでしょうし、基礎知識の習得の上に数々の経験を経て応用動作を体得したときでしょう。
時間をかけ沢山の体験を重ね、体と頭に蓄積していく一つ一つを経て「思いもよらず」が少しずつ減っていくのだと思います。普通部の日々、人生における最も多感な時期に、より多くの人に接し様々な事物に触れるなかで予測可能な事柄を増やし、目利きの勘を養ってほしいと願っています。
