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慶應義塾と普通部の歩み

慶應義塾は単に一所の学塾として
自ら甘んずるを得ず其目的は我日本国中に
於ける気品の泉源智徳の模範たらんこと
を期し之を実際にしては居家処世立国の
本旨を明にして之を口に言ふのみにあらず躬行実践以て
全社会の先導者たらんことを欲するものなり

以上は曾て人に語りし所の一節なり。 福澤諭吉書

1858 福澤塾開く

福澤諭吉が東京築地で蘭学塾を開きました。福澤23歳の時でした。
これが慶應義塾の始まりです。
福澤や慶應義塾の歴史がそのまま日本の近代教育の歴史につながります。

1859 蘭学から英学へ

福澤は開港直後の横浜を訪れ、 それまで学んでいたオランダ語の実用性の低さを知り、英語を学ぶことを決心しました。
翌1860年に咸臨丸(かんりんまる)が渡米した時も自ら進んで参加するなど、福澤は幕末に計3回欧米を巡歴し、 塾も英学塾に転換しました。

1868 慶應義塾と命名

当時の元号にちなんで塾名を「慶應義塾」と定め、福澤個人の私塾が、 福澤と同志門下生との共同結社になりました。 5月15日、上野彰義隊の戦いの時には、砲声を耳にしながら、福澤はウェーランド経済書の講義を続けました。
1871年にはそれまでの芝新銭座(しばしんせんざ)から、 三田の現在地に移転しました。

1890 「大学部」の開設

新しく「大学部」が開設されるに際して、福澤塾以来の課程を「普通部」と称することになりました。

1898 一貫教育の完成

慶應義塾に幼稚舎(初等教育)から大学科に至る一貫教育の体制が確立しました。この時、普通部は中等教育の課程(5年制)となり、「普通学科」と改称しました。(翌1899 年に再度「普通部」となる。)

1916 普通部優勝

第2回全国中等学校野球大会(現在の夏の甲子園大会)で普通部が優勝を果たしました。

1917 綱町時代

普通部は三田綱町(みたつなまち)(現中等部所在地) に移転し、ここで多くの伝統が生まれました。

1927 労作展始まる

第1回の労作展覧会(労作展)が開かれました。 これは前年に文部省令に先立って導入された手工科 (現在の技術科) 分野の作品や図画を展示することから始まりました。現在では各教科すべての分野にまで対象が広げられています。
労作展についてはこちら

1947 新制中学校へ

学制改革に伴い、それまでの修業年限5年の中学(旧制中学)から、 修業年限3年の新制中学と成りましたが、 伝統ある「普通部」の名称はそのまま受け継がれました。

1951 日吉へ移転

現在の日吉の地に新校舎の一部が完成し、戦災のため一時期身を寄せていた天現寺の幼稚舎から、1学年が移転しました。翌年には全学年の移転が完了し、スキー学校が始まりました。 1957年には水泳学校(現在の海浜学校)も始まりました。

1998 普通部100年

中等教育としての普通部が100年を迎え、記念式典が行われました。また、「目路はるか教室」も始まりました。 2001年には1年生の20人学級がスタートし、 9月には新本館が完成しました (2005年から24人学級へ移行)。
目路はるか教室についてはこちら

2008 慶應義塾創立150年

日吉キャンパス陸上競技場をメイン会場に 「創立150年記念式典」が挙行されました。 義塾社中ー同が集い、「未来への先導」 を果たす学塾として社会に貢献し続けることを誓うと共に、創立150年を祝いました。

2015 普通部新本校舎竣工

1951年以来数多くの普通部生を見守ってきた白亜の校舎を受け継ぎ、2月に新本校舎が竣工しました。多様な授業形態・学習スタイルに対応させる教室、設備を整えた校舎が誕生し、次の時代を見据えて新たな普通部が動き始めました。

新本校舎についてはこちら



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